夫の不出来

夫の不出来が目につくとき、自分の心にほんの少し義母への苛立ちが生まれることがあり、自分のその性格のねじれ具合にまたイライラしてしまう。生活習慣のだらしなさから、意思の弱さ、計画性の無さといった性格や人格についでまで。もういい大人なのだから今さらどうにもならないのは分かっているけれど、自分の事は棚に上げ、「なんでこの人と結婚してしまったんだ」なんて傲慢な考えまでも及んでしまうからどうしようもない。

子どもの頃、母が父のお母さんに向かって「いかに父がだらしないか」について力説、愚痴をこぼしていたのを見て子どもながらに呆れたのをよく覚えている。自分が結婚して義母という存在が出来てから、その記憶にさらに驚愕している。「よく言えたよな」と。「とんでもなく失礼じゃんか」と思うだけだ。だってもし、兄のお嫁さんが母に兄の愚痴をこぼしたらきっと母は気を悪くするだろう。気を悪くするどこか下手すりゃ激昂するかもしれない。そりゃ、自分が大事に大事に育てた息子のことを悪く言われるわけだから。まるで嫁から「あなたの子育てまちがってましたよ」と今更な嫌味を言われてるようなものだから。そんな事にも気づかず、母はよく、おばあちゃんに父のダメエピソードを披露していた。(さも自分が一番父のことを知っているかのような口ぶりで!)おばあちゃんはどんな気持ちだっただろう。

そんな母を見て軽蔑すらしてたのに、最近、自分も似たような思考回路になってて唖然としてしまった。でも。きれいごとを言うつもりはない。正直に、そう思ってしまったのだ。「お義母さん、この部分、もうちょっと厳しくしつけておいてくださいよぅ」って。

問題は、ここから先だ。ここから先は、反面教師でいきたい。もし仮に、夫の不出来に対してこれまでの家庭環境を恨んでしまったとしても、伴侶として選んだのは自分なのだ。これが、最大の答えなのだ。母のように、意固地になってはいけない。変に正義感たっぷりに自分が一番正しいような態度になってはならない。今、向き合うべきはそう、私の夫なのだ。何度も何度も自分の心に言い聞かせる。「寛容になれ」「寛容になれ」と。現状を踏まえて、どうできるか考えるだ、と。完璧な人はいない。彼は私の最良のパートナーだ。彼が不出来ということは、私も不出来ということ。パートナーは鏡だ。一緒に高め合っていこうじゃないか。磨き合っていこうじゃないか。そして何より、私たちはもう「親」という存在になっているのだ。自分の分身のような子どもたちを育てている立場なんだ。息子の未来のお嫁さんに恨まれる日が確実に待っている。。。そう思うと、「はい、すみません。誰も悪くないです」という気持ちになる。それどころか、いつの間にやら「お義母さん、優しい夫を、ありがとう」という気持ちでいっぱいになっているのである。単純な私の頭よ。

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