とんがりハウスの大家さん

10年以上、誰も暮らしていなかったとんがりハウスは、定期的に風が通り、少しずつ修繕をほどこし、庭もつねに手入れがゆきとどいている、まるで空き家らしくない空き家だった。幸運すぎる出会いを与えてくれたのは、大家さんご夫妻だった。歳は八十歳を過ぎているだろう。耳がとおく、ゆっくり話したり、同じ会話を繰り返したり、私たちは会話を重ねた。ご夫妻にシェアハウスのことを説明してもあまりピンと来ない様子だった。半分住み開きをしているような生活にも関わらず、快く住まわせてくれたこと、やはり幸運すぎる出会いだったと感謝してもしきれない。

家を建てたのは、大家さんの息子さんだった。次男である息子さんは東京で会社員勤めをしていたが、40歳くらいのとき、仕事を辞め、故郷に戻り、自分のあの家を建てたらしい。設計から模型づくり、資材の調達まで自分たちでおこなったという。大家さんは息子の新しい家のために、自分たちで立派な樫の木や檜などを調達し、天井や梁、床などにしつらえたことを、何度も何度も語って聞かせてくれた。たしかに、素人の私でも納得出来る。ハウスメーカーが建てる家では決して味わうことのできない、家への愛情と丁寧な仕事ぶりは、暮らしていてしみじみと感じることができた。

大家さんは、自分の畑や裏山から、胡桃や山菜、野菜や果物を、いつもたくさん持ってきてくれた。トタンの修繕をしてくれたり、植木の様子を見に来てくれたり、私たちが住み始めてからも、ずっと変わらず、家を愛し続けていた。

家を建てた息子さんは、その家に数年と住むことなく、交通事故で亡くなられていた。大家さんは、私たちが暮らしていることを、心から喜んでくれた。

街を離れるという報告は、とても心苦しく感じた。私には、街を離れるということ以上に、この家を離れるという感覚や寂しさのほうがつよかった。私があの街に暮らせたのは、とんがりハウスだったからにほかならない。大家さんが想像できない、若者たちの住み開きの生活、たくさんの出会い、たくさんの会話が、私の1年間を、かけがえのないものにしてくれた。

いつも同じことを繰り返し話す大家さんはすごく寂しそうな表情でこう言った。「この土地の人になってくれると思ってたんだけどなあ。」私は、胸がきゅんとなるほど切なくて嬉しくて、そして、幸運すぎたこの出会いを、ぎゅっとにぎりしめた。


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