台湾から来たベビーシッター

彼女の本業はベビーシッターではない。けれど、あの街ではベビーシッターとして働いていた。正確に言うと彼女のボスの息子をみていた。息子は彼女のことが大好きだったし、彼女もまた、子どもをかわいがった。

彼女は、決して人のことを悪く言うことはなかったが、彼女の性格はとても敏感で、とても傷つきやすかった。誰も傷つけないかわりに、彼女はひとりで我慢してしまうところがあった。彼女はときどき、トンガリハウスにやってきては、ぽつりぽつりと話すのだった。

彼女と私は、少しの日本語と、そして時々は英語で会話をした。他愛もないことは日本語で話をしたが、会話が進むにつれ、だんだんと英語が増えるのだった。それは、彼女が心を開き、熱を帯び、大切なことを打ち明けていくサインのようだった。言葉とは不思議だ。英語に変わったとたん、優しい彼女の口から、まっすぐな辛辣な意見が飛んでくるようだったし、英語はそれを手助けしているように感じた。私もまた不思議と、英語であれば、キャッチボールが加速するのである。私は、彼女の心の悩みを手に取るように感じたのだった。

彼女は最後まで我慢をとおし、傷を追った心を隠しながら、この町を卒業することを決めた。最後に彼女は、夜遅くに、トンガリハウスで話がしたいと訪ねてくれた。その日はなぜか、はじめから終わりまで英語で会話をした。彼女にとっても私になっても道具のような言語である英語で、ぞんぶんに別れを惜しんだ。まるで、はなればなれになる現実をごまかすかのように。彼女の痛みが、いつか幸せに変わりますように。

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