民宿に嫁いだテキスタイルデザイナー

どちらかというと奥手の人が多い(土地柄なのか)あの街で、彼女はひときわ明るく、社交的だった。はじめて会ったときも、とびきりの笑顔で、私を受け入れてくれた。それは性格だけではない。彼女はいつも、明るい色のある素敵な生地の洋服を着こなしていて、髪型やメイクもキラキラとしていて、私はすぐに、彼女のことを好きになった。

彼女は、東京の美術大学を卒業したあと、夫の実家であるあの街で、実家の民宿を手伝うために移住した。出身は、私の故郷にちかい、西の生まれだった。自分の背丈よりもぐんと高くまで積もる雪や、凍るような寒さが長く続く冬の季節。そして、そんな季節に大挙としてやってくる、スキー、スノボ客。そしてその反動のようにぐんと減る、夏の閑散期。それらが、慣れない習慣の連続であることは、同じ西の出身である私には、痛いほど分かった。彼女は、そんな嫁ぎ先で、お客様をもてなし、宿をきりもりしながらも、テキスタイルアーティスト活動をやめなかった。街の子どもたちに機織りを教えたり、絵の具や毛糸をつくって子どもたちが作りたいものをたくさんつくっていった。それはまるで、寒い部屋にある暖炉に、じわじわと火が通うような、あたたかな活動だった。彼女は、どんなときも、どんな状況におかれても、その活動をやめなかった。彼女の内からあふれでる、カラフルなエネルギーを、誰もとめることは出来なかった。長くふさぎこんだ冬でさえ、彼女は輝きつづけていた。


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