SF小説好きな、アップルパイ屋の店主

心優しい彼は、毎日アップルパイを焼くためにこの街に通っていた。冬になると通うのも一苦労の山間の街が彼の暮らす街だった。彼は、自慢のアップルパイひとつを、この街で売る事に決めたのだ。

アップルパイは、大人気だった。アップルパイを買うために、遠くからやってくるお客さんも多かったし、朝はやくからせっせと焼いたアップルパイは、夕方を待たずに売り切れる日もあった。彼は、アップルパイづくりに誇りをもっていた。

そんな彼のひそかな楽しみは、図書館へ通うことだった。街にある、決して大きくはないが、街の人の憩いの場となっている図書館。(ちょっとした話題の場だ)けれど彼には少し不満があった。その図書館の選書は、彼の好みではなかったのだ。

彼の本に対する好みはちょっと偏っていた。一番好きなジャンルはSF小説。そのほかは、生物や宇宙といった理科の授業でならうようなジャンルにかなりくわしかった。聞くと、「子どもの科学」を読みあさるような幼少時代を過ごしたというし、星新一は全部読んでいるし、今でも、休みの日にはお気に入りの古書店めぐりをするのが趣味だと言った。

彼には恋人はいないようだった。なんとなく、そんな気がした。と書くと失礼だが、彼や、彼のお母さんの話を聞いているとそんな気がした。

彼の、生物や宇宙、科学や、それらが書かれている本に対する愛情はとても強いものだった。私がお店へ行くと、「まあ、どうぞ」と珈琲をだしてくれ、毎回、店の本棚から「今日の一冊」を取り出しては、その全容を丁寧に話してくれるのだった。私がお店へ行くのはたいてい夕方だから、アップルパイが売り切れていれば、私はありつけないし、彼もまた、することはないのだ。彼は、思う存分、私に語るのだった。

あらためて言うが、彼は、アップルパイ屋の店主。アップルパイづくりに誇りをもっている。

私はあの街を経ち、故郷での生活も普通になった頃。あの街から遠い、私の故郷で大きな自然災害が起きた。幸い、私も家族も無事で、ありがたいことに、変わらぬ日常を送っていた。ある朝、とおいあの街のアップルパイ屋から、電話がかかってきた。彼だった。「ニュースを見ました。大丈夫ですか?」と。

生物や宇宙をこよなく愛する彼のつくるアップルパイは、とても美味しい。

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