息子との長い夜。

泣きながら、最後は諦めたのか納得したのかしずかに素直に眠りについた。
今日はかなりはげしく泣いて、泣きじゃくって、お腹からチカラだして。絶対的に自分の意思を貫き通さんとする強い泣き声に、こちらのほうが何度も心折れそうになる。一体どれ程心を鬼にするべきなのか、ときどき不安になることがある。

オットが出張のときは私と息子は私の実家に泊まることが多く、このところオットの出張が多いために実家に世話になる頻度が増えていた。じじ、ばば、そしてペットのワンワンに会えるのが嬉しいだろうというのは半ば言い訳で、どちらかと言えば私が手を抜いているだけだ。大人の目が増えるとそれだけで負担は減るし、子どもとずっと一緒でも途中でどちらかが根をあげることが多く、つい近所の実家に甘えてしまっていた。
昨日、些細なことで母と意見が食い違った私は、私たちが実家に通いすぎることを煙たがれているように感じ、今日はなんだか行く気にならなかった。半分は子どもじみた意地だ。

朝早く、出張に出かけたオットを見送り、いつものように洗濯や洗い物、掃除機をしながら子どもと遊んだり着替えさせたりして、買い物や銀行、公園へ出かける支度をする。今日もまたスッピンだ。良いのか悪いのか慣れてしまった。家事がひと段落すると、ちょうど子どもも家の遊びに飽きたようで靴を履きたがった。今日は段取りがうまくいったと内心ホッとしながらじゃあお散歩へ出かけようと、息子をベビーカーに乗せる。このときは、今日はふたりでうまく過ごせるかな、と思っていた。

公園で散々遊び、遊びつかれたところで公園をあとに。ベビーカーに乗るとほどなく眠ってくれた。ひさしぶりに落ち着いてスーパーでお買い物。薬局にも寄れ、大荷物で帰宅。
帰宅後もスヤスヤと寝てくれたので、ひとりかんたんにお昼をつまみながらたまった家計簿をつける。レシートを処分できてすっきり。
いつもはオットが昼ごはんを食べに帰宅するので、公園にいても途中で帰って昼ごはんの支度をせねばならず、息子を説得するのも一苦労。今日は時間を気にする必要も無いし、支度も急ぐ必要もないので気分的にもゆとりがある。
息子も気が済むまで遊べたおかげでぐっすりと昼寝をしてくれた。

家計簿の整理を終えた頃、息子がむにゃむにゃと目を覚ました。機嫌よし。

なにか欲しがるまで一緒に本を読んだりして過ごす。
夕方、食卓に行って自分の席につきたがったのでおむすびを作る。お茶碗2杯くらいの量をペロリとたいらげた。

このあたりから、息子が、トトがお昼に帰らなかったこと、じじ、ばば、ワンワンにまだ会っていないことを思い出し、名前を口にだしはじめる。適当に気を外らせながら、夕飯の支度。オットがいないからかんたんなもので。

いつもはオットの帰りに合わせて三人で夕飯を食べるが、今日はふたりなので早めにすませ、早めにお風呂に入れることに。このところ夜ふかし気味だったこともあり、今日くらいは早く寝かせてやりたい。

いつも夕飯を食べはじめる時間にお風呂からもあがる。逃げ回る息子を追いかけながら、パジャマを着せたり髪を乾かしたり。これは毎晩おなじ。いつもとちがうのは、少しだけ時間が早いことと、トトも、じじばばも、ワンワンもいないことだ。
いつもならお風呂あがりはもうオモチャは出さず一緒に絵本を何冊か読んだら自然に寝る体勢にはいるのだが、今日はそわそわ。様子がちがう。
オモチャをアレコレ出して遊んだかと思うと、突然靴下を履きたがった。これは、お出かけのサインだ。靴下を履けば靴を履ける。私が外に出るときに切り出すサインだ。今日は息子から切り出されてしまった。

こんな夜、しかもお風呂あがりに、もう出かけることは出来ない。いつも夕暮れ時に帰りを待つトトも帰らないし、じじのブーブのお迎えも今日は来ない。もちろん電話すればすぐにでも来てくれるだろうが、今日は私の気分が乗らなかった。ワガママは私。子どもなのは私だ。

ぐずって泣き始めてしまった息子。
私も今日は、なんとしてでもひとりで向き合わなければ。意地もあったし、日頃の情けない自分を払拭したい気持ちもあった。

結局、なんだかんだいつも私の都合に付き合わせてしまっているのだ。
はげしく泣きじゃくるその声は、息子が完全にじじばばへ依存していることを表していたし、それは私が仕向けたことにほかならない。
子どもの素直さにはかなわらない。
子どもにはぜったいにごまかしはきかないんだ。

逃げ続けてきた自分の弱さが露呈する。

ひさしぶりに息子とのふたりきりの夜。

これからはもっとこの時間を大切にしたい。


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