結婚を控えた研究者

かつて彼女は、東京の某有名国立研究所に勤める優秀なキャリアウーマンだった。彼女の発言は、いつも頭脳明晰、会話をするにもちょっとした緊張感を感じるほど、常にオン状態のような人だった。それでいて彼女には相手を思う慈しみのような愛情が深く備わっていた。また、あえて書き記すのだが、彼女はとても綺麗だった。その厳しさと優しさ、そして美しさに、まるで鏡の前にたたされたように、自分がはずかしくなったことを今でもよく覚えている。

そんな彼女もまた、私と同じ時期にあの町へ移り住んだ。町と、仕事の縁があっての移住だった私たちは、同世代の女一人移住組として、よくひとくくりに紹介されたりした。しかし、私と彼女は大きくちがい、私はそのたびに恥ずかしく感じてしまうのである。情けなさというか、劣等感というか、小さな町では特にひけらかされるような気がして、窮屈に感じたのも、少しあった。

東京の第一線で働いていた彼女にとって、町での暮らしは不自由だったし、仕事もむずかしそうだった。東京ではスムーズに進むことが、町ではそうはいかない。昔ながらの手順を守り、いろいろな地元の方の顔をたて、ご機嫌を伺いながら進める必要があった。彼女の気苦労は、ふと見せる疲れた表情やこぼす言葉から想像できた。

私の彼女の大きなちがいは、暮らし方でも明らかだった。彼女は、シェアハウスではなく、小さなアポート暮らしを選んだ。同世代の若者たちがトンガリハウスに集まっても、彼女が来る事は結局一度もなかった。私は、彼女の信念に脱帽しきりだった。

彼女は今もあの町にいるのだろうか。たしか彼女は、東京に婚約者を残し、ときどき東京へ帰れることを、心から喜んでいたはずだ。私も、彼らは一緒に暮らせることを心から願ったが、もしかしたら今もまだ、彼女はあの町に残っているかもしれない。もし、いるならば、決して公の場には出ず、目立つことはせず、けれど、丁寧に、丁寧に、町のおじいちゃんやおばあちゃんと会話を重ね、信頼を重ね、大きなチカラになっていることだろう。小さな町で、ときどき彼女が職場から家へと歩く姿を、私は美しいと思った。それは信念からくる美しさに他ならない。

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