割れると、継ぐ

今日と、それから昨日と、つづけて食器が割れた。今日は夕食のときにオットがグラスを運んでいたときに手を滑らせて、昨日は夜、洗い物をしているときに私がガラスの蓋をシンクに落としてしまって、割れた。それは一瞬の出来事で、形あるものが姿を変え、形のないものになってしまう。どうしようもなく、切なく、心が痛い。

私はこれまでに何度も大切な器を割ったり、欠けたり、そのたびに心がぎゅーっと、そしてそのあと自分のこころのはじっこも欠けてしまったような、冴えない気持ちになってきた。そのことは、これほどまでに自分の心が傷ついていることに結構驚いたりしていて、自分の年齢や環境や、自分自身が変わったことも気づかせてくれた。とにかくそのことで自分を悔やむし、二度と戻ってこない過去をうらやんだり、瞬間の儚さを尊んだりしている。

そして私は、割れることと同じくらい、いや、それ以上に継ぐことの尊さにも心を動かされている。「金継ぎ」がそうだ。

意図せず、計算せず欠けたり割れた器が、形ある、さらに美しい跡をもって再び姿を表す。もとあった形よりより美しく、大切で愛着の湧く器へと生き返るのだ。心の傷た欠けたカケラを繕うように、金色の輝きが優しく心を撫でてくれるように感じる。

私は、金継ぎに恋をしてしまったようだ。

そして、生まれてはじめて、生涯をもって従事したい職に出会えた気がする。

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