おとなな、彼女

「イタリアから帰ってきた」と紹介された彼女は、すらりと細い足に大人の女性の色気漂う、まさにイタリア帰り、笑顔のすてきな女性だった。一緒に並ぶと、私たちの子どもっぽさが際立つ気がした。

彼女はすごく人なつこくて、外見とはまるで異なる、ひょうきんな人だった。いつも体いっぱいに気持ちを表現して、私たちのことをかわいいかわいいとすごく大切に、かわいがってくれるのがとても照れくさかった。

彼女は「全身全霊」という言葉が似合う。体で気持ちを表現することもそうだが、彼女は、自分の気持ちにとても正直に、とても深いところから向き合う。魂をこめる。という表現は決して大袈裟ではなく、人のために、自分の身を心を削ることのできる、慈悲深い女性だった。

彼女を思い出すたびに、自分は、自分の未熟さや傲慢さが目立ってしまい、彼女のことをうまく書くところまで至らない。

私が街をでることを決めてから、最後に彼女とふたりで行った小旅行。彼女の生まれ育った街へでかけた。彼女が「この景色を見せたかった」と連れて行ってくれた、道中での窓から見える景色、あの高い丘から見た景色を私はきっとずっと忘れないと思う。いくつもの山を越えてたどり着いたあの街は、別世界にタイムスリップしたような、はじめての場所だった。それは、標高が高いせいか、山に囲まれているせいか、あまり人に会わなかったせいか。きっとそれだけじゃない。しずかで澄み渡った空気のなかで私たちは手を大きくひらいて深呼吸した。「この森のなかで、まるで動物の子どものように走り回ってた」と教えてくれた。彼女が連れて行ってくれた大切な場所は、まるで「聖地」のようで、またいつか行きたいけれど、とても手の届かない遠い場所のような気がしている。

私が街を去ってほどなくして、彼女もまた街を去り、新たな場所を見つけたようだ。いくつもの山に囲まれた、雪深い土地。とても、彼女らしい選択。次、彼女と会うのはいつ、どこでだろう。数は少ないけれど、きっと、かならず、この人生のうちに、また大切な場所で会うのだと確信している。

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