限界集落に移り住む、カメラマン

彼女は私と同い年だった。短くきったショートカットがこんがり素肌によく似合って、学生の頃に会っていたらきっと意気投合していただろうなと思った。いつも笑顔の彼女は、どんな人を前にしても、すっと懐にはいってしまうようのな魔法のような魅力を持っていた。

彼女と出会ったことは、あるひとつの村と出会ったことを意味する。彼女は、私が移り住んだ町からいくつもの山を越え、さらにその先の山のなかにある小さな村へ暮らしている。いわゆる限界集落だ。その村に住むほとんどが後期高齢者、自給自足をしながら暮らしている。田畑を耕し、狩猟をし、まさに自然の命をいただく、土の暮らしだ。彼女はその村で、カメラマンとして生きていくことを決めた。

私は彼女にたくさんの共感をいだいたけれど、彼女に多くを尋ねたことはない。彼女の撮る写真を見れば、それで満足してしまうから仕方ない。彼女にカメラを向けられると皆、全てをゆだねるような、安心した気持ちに包まれるのだ。彼女に任せておけば大丈夫。きっと大丈夫。そんな気持ちになる。写真とは、そのカメラマンが心を通してみている世界をみせてくれているのだと、彼女から教えてもらった。だから、尋ねる必要などないのだ。彼女の生きかた、まなざし、そして出来上がった作品をみていると、自然と「運命」という言葉が浮かんでくる。その土地との運命。その職業との運命。彼女が出会い、まなざしを向ける者との運命を。

彼女の前で、嘘はつけない。

彼女に撮ってもらった私は、恥ずかしくない生きかたをしたいと思うのだ。

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