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「決別」の観点から見る『AC6』(ネタバレ含む)

 「ルビコン」と言えば、いまや『ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON』(以下『AC6』)を想起する人が多いだろうが、『AC6』発表以前であれば「ルビコン川を渡る」ということわざを思い起こすのが一般的だったと思われる(『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の「ルビコン作戦」を思い浮かべる人はそう多くないだろう。)。
 この「ルビコン川を渡る」というのは、古代ローマ時代、ユリウス・カエサルが、当時「兵を連れてルビコン川を渡ってはならない=ローマに軍隊を入れてはならない」とされていたルビコン川を、反乱を起こすために渡河したことに由来し、「もう引き返せない重大な決断をする」という意味で用いられる(『AC6』の最後のエンディング名が、ルビコン川を渡る際にカエサルが言った「賽は投げられた」であることから、制作サイドとしてもこの故事を意識していると思われる。ちなみに「賽は投げられた」も「ルビコン川を渡る」とほぼ同義として使用される。)。
 ここで、反乱を起こすためということに鑑みれば、「ルビコン川を渡る」には、単なる重大な決断というだけではなく、「何かしらとの決別」というニュアンスが含まれていると見るのが本来的だろう。
 つまり、舞台となる辺境の惑星「ルビコン3」とは、「3つの、決別を伴う決断=ルート分岐(エンディング)」を意味すると考えられる。

まずは、各エンディングがどのようなものであったかを以下に記載する。

・レイヴンの火

 ハンドラー・ウォルターが属するコーラル監視組織「オーバーシアー」の目的に従い、燃え残った全て(コーラル)に火を点けるエンディング。
コーラルが焼失する代償として「ルビコン3」は再び炎に包まれ、最早完全に人が常駐出来る状態ではなくなってしまい、廃星となったことが語られる(ルビコニアンも全滅したものと思われる。)。
 主人公はその災禍を引き起こした重罪人「レイヴン」として歴史に名を残すが、しかしその後の行方は不明とされる。
 ハンドラー・ウォルターやシンダー・カーラも死亡していると思われることから、逃げ延びたとしても先は長くなさそうである(ちなみに、別ルートでのハンドラー・ウォルターの台詞に「再手術して、普通の人生を」というものがあることから、再手術すれば普通の人間として生きられるのかもしれない。なお、より新しい技術を使用した再手術を行っているキャラクターはいる。)。
 STEAMの実績取得割合から、多くの人が最初に見たエンディングだが、個人的にはバッドエンドという印象。

・ルビコンの解放者

 燃え残った全て(ルビコニアンの心)に火を点けるエンディング。
 「オーバーシア―」の目的に反し、コーラルを燃やさず、エアと協力してコーラルとの共生を目指すこととなる。
 「灼けた空でレイヴンが戦っている」というエアの檄文に呼応して、地上のルビコニアンが蜂起し、主人公のことを戦友と呼ぶラスティが駆けつけるという熱い展開に加え、最後の敵となるハンドラー・ウォルターも、最期には主人公を認めて散ってゆく(「お前にも友人ができたのか」)というのが胸を打つ。
 スタッフロール後、「エアと共に幸せに暮らしました」ともとれる台詞で締めており、全体的に爽やかなグッドエンドという感じだが、コーラルとの共生とはどのようなことを指すのか、最も具体性に欠けるエンディングでもある(描かれていないだけで、次のエンディングのようなことになっているのかもしれないが。)。

・賽は投げられた

 燃え残った全てに火を点けないエンディング。
 上記2つのルートでいまいち影が薄かった傭兵支援組織「オールマインド」が画策する「コーラルリリース計画」(コーラルを全宇宙に放ち、人類を次なるステージに導く計画)に協力することとなる(なお、どのルートでも「オールマインド」は暗躍しており、「レイヴンの火」でラスボスとなるエアに機体を提供したのも「オールマインド」と思われる。)。
 恐らくAIであろう「オールマインド」だが(企業を指して「人が作った組織は脆い」という趣旨の発言がある。)、傭兵支援組織が裏で糸を引いているという展開、『ACPP』のオマージュ台詞、死者(のデータ)を自分の手駒としていること、そして何より「イレギュラー」発言等々、最も『AC』らしい展開が繰り広げられる。
 そして案の定敵となった「オールマインド」を下し、コーラルは全宇宙に放たれた。スタッフロール後、ルビコン3か定かではない場所で、乗り捨てられた無人と思われるACに、次々と赤い光が灯り、そしてエアが言う。
「メインシステム、戦闘モード起動」
 彼女は何と戦うのだろうか。そんな疑問と、底知れない恐怖を感じさせるミステリーエンドもしくはホラーエンドとも言えるエンディングである。

 さて、主人公は何と決別したのか。
 「賽は投げられた」以外は分かりやすい。即ち、「コーラル」(エア)もしくは「オーバーシア―」(ハンドラー・ウォルター)である。

 問題は「賽は投げられた」だ。
 これについては推測するほかないが、個人的には「現生人類との決別」ではないかと思う(当然その過程で「オーバーシア―」とも決別している。)。
 このルートで、エアは「オールマインド」の言う「人類を次のステージに導く」という思想に感銘を受けているように思われ、「ルビコンの解放者」での「コーラルとの共生」がより過激化したものと考えられる。
 つまり、「全人類をコーラルに適合させる」ことが彼女の目的となったのではないだろうか。
 コーラルに適合した人類がどのようなものなのかは不明だが、肉体は不要なのかもしれない。適合を拒む人類もいると考えるのが自然であるし、そのために彼女はACを駆るのだろう。それが人類とコーラルのより良い未来と信じて。
 まあ、「いまや私達(コーラル)は全宇宙に存在する」という趣旨の台詞から、人類よりも多くなったコーラルが、人類に成り代わるため殲滅戦を行っているとも考えられるが、いずれにしても現生人類に対して攻撃を行っているものと想像できる。
 なお、『ACfa』のエンディングの一つに、最強の人類となった主人公がクレイドル(多数の人類が住む居住飛行機)を落としてまわる、通称「人類種の天敵」と呼ばれるものがある。「賽は投げられた」は、これに思想の味付けがされたものと言えるのではないだろうか。

 正直に言えば、初回クリア時、ストーリーについては少々不満だった。
 何故か。主人公に対して湿った人間関係を築く人物が多すぎるからである。
 これまでの『AC』シリーズでは、オペレーターや主人公の上司的な存在は概ね主人公に対して好意的であったが、企業や同じ独立傭兵は、無機質な乾いた関係であることが多かった(「サンキュー、レイヴン助かったわ」でおなじみ『AC3』のレジーナ等、勿論例外はある。これとて一過性のものだが。)。
 そもそも同業たる独立傭兵は、戦場で敵対すれば大抵主人公に撃破され、死亡する。長い付き合いになることはない(こちらも『ACPP』のスティンガーや『ACLR』のジナイーダ等、例外はある。)。
 翻って『AC6』では、上記のとおり主人公を戦友と呼ぶラスティ、主人公を見下し続けるスネイルや、数度敵対しても生き延び主人公をライバル視するイグアス、主人公に対して一目置く(鍛えようとしている)ミシガン等、二大企業それぞれに長い付き合いとなるキャラクターが複数いる。最終的に企業に対しては皆殺しルートに入るとはいえ、これまでのシリーズにない濃い関係が描かれている。
 まして、ハンドラー・ウォルターやエアに関しては言わずもがなである。
どうしたフロム。『デモンエクスマキナ』みたいだぞ。

 しかし、これも決別の布石だと考えれば納得がいく。
 そもそも別れとは、対象との関係が濃ければそれだけ痛みも大きくなるものである。どうでもいいと思っている人との別れは「ふーん」で終わる。
 『AC6』では、選んだルートにもよるが多くの登場人物と別れることになる。この別れの痛みを最大化するために、敢えて親し気な関係を演出していたのだろう。
 今は、パワハラやモラハラといった、ハラスメント描写でストレスを与える作品は人気が出ないらしい。
 「死ね!」だの「殺してやる」だの「この世界にあなたは不要」だの言われるのは今の時代に即していない(まあ、近いことは言われているのだが。)と判断したフロムの、新たなストレスの与え方が、親しい人物との別れなのだろう。
 狼は羊の皮を被ってやってくる。流石はフロム。

 ちなみに、『AC6』のキャラクター人気は高いらしく、筆者の訓練されたGoogleは毎日のようにファンアートをサジェストしてくる。
 驚くべきは、肉体を持たないエアやオールマインドでさえ、画像を作成している人がいることだ。
 というより寧ろそっちの方が多いようで(声からして女性キャラだからか?)、どうもレギュレーションのようなものもあるらしい(例えばエアは、多くの場合白髪赤目の少女として描かれている。)。
 前作『ACVD』でさえ10年前であり、その頃とSNSの発展状況が全く異なることから単純な比較は出来ないとはいえ、ここまで人間が描かれた『AC』は過去にない。
 ストーリーにおいて上記のとおり長い付き合いとなるキャラクターが多いということを加味しても、これはキャラクター自体に魅力があったことの証左であり、『AC6』が『AC』シリーズ再始動の一歩として成功したことを示している。
 今後『AC』シリーズがどのような道を歩むのか、現時点で当然知る由もないが、願わくばこれからも続いていって欲しいと思う。

 なお、以前の記事で、「主人公はルビコン3を去ることになるだろう」と書いたが、「レイヴンの火」では去っている、「ルビコンの解放者」ではルビコン3に留まっていると思われる、「賽は投げられた」では不明と、見事に一勝一敗一分けであった。
 また、「主人公の力量を認める台詞があるのではないか」とも記載したが、本来のレイヴンのオペレーターが言った「見届けようと言うのね」という台詞がこれに該当すると思われる(ちなみに、本来のレイヴンが一言も話さないという演出は、『ACfa』でホワイトグリントのパイロットが喋らなかったことに通じるものがある。)。
 更に余談だが、『AC6』では過去の台詞のオマージュと思われる台詞が多数あった。これを探してみるのもまた一興かもしれない。

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