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スタートアップで働く覚悟を教わったXiaoling ent.|お仕事日記

新卒では誰もが知るような、いわゆる大手企業に就職した私が、韓国から帰国して入社したのは、社員30数名のベンチャー企業。

最終面接で、「新卒入社した会社と全然違うけど、本当に大丈夫?」と社長に聞かれたことをよく覚えている。

当時の私には何の不安もなかった。30~50名程度の会社で働きたいと思って転職活動をしていたから。

なぜならば、私の前職は大手企業ではなく、創業2年目スタートアップ企業@韓国 で、事業は急成長、組織はカオス真っ只中の会社で働く面白さを味わっていたから。

韓国で私が働いていたのはXiaoling Entertainment(現在はLINGKE ENTERTAINENになったらしい)という会社。

当時は、YouTubeや中国の動画プラットフォームにおける、子供向けの動画制作とチャンネル運用をしていた。中国では圧倒的な人気を誇り、今では物販や英語教育など、いろいろな領域に事業を広げている。

私がこの会社で働くことになった経緯は、ブログのコメント欄からの誘いである。語学堂(語学学校)を修了し、ソウルでの仕事を探しているタイミングで、当時運用していた韓国留学&ワーホリのブログに、その後一緒に仕事をすることになるプロデューサーの女の子から、「日本向けのサービスを作る仲間を探している。面接にこないか」とメッセージをもらった。

当時はウェブサイトもない謎の会社。正直、怖かった。でも、韓国にいた頃の私は、守りのネジが外れていたこと、現地では正攻法よりコネクションが仕事につながると聞いていたこともあり、怖いけど、踏み出してみることにした。

返事をすると、音声テストが課された。中国語の動画と韓国語の原稿が送られてきて、日本語訳して吹き替えるというもの。送り返すとすぐに面接に呼ばれてオフィスへ。結果的に、会社も声をかけてくれたプロデューサーもきちんとしていて安心した。

当初、私の仕事は中国向け動画の日本語訳と吹き替えだった。でも社長の思いつきで出演者としてカメラテストを受けることになった。撮影で使用するおもちゃを一つ持たされてその日は帰宅。よくわからないまま翌日のカメラテストを受け、採用が決定した。

他にも日本人向けのアルバイトをいくつか検討していたけど、条件面でこの仕事一択だった。ワーホリビザの日本人では到底叶わない、正社員(保険付、月給制(フルタイムのバイトの倍は稼げる))という条件は圧倒的に魅力的だった。

想像つかなかった選択肢が面白そうだったこともあって、何も知らないまま入社を決め、即日勤務を開始した。

入社してしばらく経ってから、設立まもないスタートアップであることを知った。おそらく私が入社したころが2年目くらい。

韓国企業、スタートアップは夜も眠らずに働き続ける長時間労働が基本だと思っていたけど、実態は大きく違っていた。10:00-19:00(休憩1時間)、残業なし。やるべきことをやってさっさと帰る、というのが経営陣の方針で、「新しい会社!」と感じたのを覚えている。

入社時の社員数は20名弱。私の後にも日々いろんなメンバーが入社した。会社を統治するルールはほとんどなかった。人が増えて何かが起きると、それに付随して新ルールが増えたり、もとに戻ったりを繰り返す変化の激しい日々だった。

入社から半年もしないうちに、社員数は倍増し、オフィスや撮影用のスタジオが増床された。動画で使用するおもちゃも各国から次々と新しいものが取り寄せられ、勢いに乗っている企業の前のめりな成長を感じた。

一方で、辞めていく人も多かった。自主退職もいれば、パフォーマンスが上がらなくて解雇されることも日常的だった。「○○を解雇しました」というチャットが社長から全社員に送られてきて、社員は無言で受け止める。最初はかなり衝撃的だった。

組織が大きくなるにつれて、管理ポジションが必要になり、総務/人事のお兄さんが入社した。保険の手続きなど、親切・丁寧に教えてくれるお兄さんの存在がありがたかったけれど、彼も数ヶ月で退職して行った。

競合のチャンネルで起用されていた海外タレントを、自社のチャンネルに引き抜くことも普通だった。入社・退社、転職、引き抜き、独立が日常茶飯事の世界は毎日何かしらのニュースがあって、新鮮で面白いと思うようになった。

中国企業から資金調達をしていたようで、経営層の成果へのプレッシャーは大きかったと思う。一本の動画にかける費用がどんどん高額になり、「この会社大丈夫なのか?」と思うようになった。とにかく新しく、インパクトのある動画を公開し続けなければ数字が取れない、というかそれくらいしか効果の出せる手立てがない印象を受けていた。

とにかく、”イケイケどんどん”状態で急成長を続けていたわけだけど、あるとき、プラットフォームのルールが厳格化されて、収益が一気に落ちるタイミングがきた。会社の判断は合理的で早い。その日のうちに半分の社員が解雇された。チームでたった一人残ったリーダーが、責任を感じて辞職し、チームメーンバーと共に競合のチャンネルに移ることもあった。

大きくなる一方だった会社が、入社当時の状態に戻った。大量解雇の翌日のオフィスはかなり静かだった。誘ってくれたプロデューサーと、社長の計らいで、私は大量解雇の危機を免れた。日本向けサービスの立ち上げは中止となり、中国チームに異動した。危機はあったけど、チャンネルは変わらず成長していった。

そんな激動の8カ月が過ぎ、ワーホリビザの期限が切れるタイミングで私は退職した。


この会社で働くルールは大きく3つだった。

・自立と自由:自立して自分の仕事をしていれば細かなことをとやかく言われない

・実力主義:期待される(コストに見合う)パフォーマンスが出ない人は解雇される

・エンゲージメント不要:会社に必要な人は報酬によって所属する理由を得られる

何かと激しいこの会社で働いた感想は「面白かった」だった。正直、事業内容に強い興味はなかった。でもリアル椅子取りゲームみたいな日々は、適度な緊張感と危機感があって、意外と好きだったことがわかった。

だから、日本に帰国しても、一人ひとりの自立と成果が強く求められる、ベンチャー企業で働きたいと思った。

何も知らずに偶然入社した会社だったけど、ここでの経験があったから、今の選択ができていたような気がする。人生何が役に立つかわからない。

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本日もありがとうございました。

다음 노트에서 만나자~

おしまい: )

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