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ある日、自分が天才ではないことに気づいた私たちは。

ある日、自分が天才ではないことに気づいた。
辛くも人生は、自分が凡人であると思い知ってからの方が長い。
私は、あるいは私たちは、己の凡人性にどう向き合って生きていけばいいのだろう?

私が、自分を天才でないと認めることになったのは、大学時代であった。私は中学3年生のある時分から高校3年生まで、ほぼ毎日小説を書いていた。言葉を綴っている間はとにかく楽しくて、自分の脳内にアドレナリンだかドーパミンだかの脳内快楽物質がブシャアアと出ている。

そんな状態だったから、いくらでも夜更かしして書いた。夜更かしがばれると親に叱られるので、ベッドの中に懐中電灯を持ち込んで、ひたすらノートに文章を書いていたのを思い出す。そんでもって授業中は寝ていたのだから不真面目な学生なものだ。

職や仕事というものに対する解像度が低い年頃で、それゆえに「自分は絶対に小説家になってやる」と思っていた。むしろ自分にはその道しかないと思い込んでいた。

教室はつまらないし、勉強も好きじゃない。親や教師には漠然とした不信感がある。理由もなく腹が立つ。そういう若い時の心の状態を表す便利な言葉に「反抗期」というのがあるが、まあ、そういうことだったのだろう。

そんな状態の自分が、唯一自由な自分でいられたのが白紙のノートの上だった。言葉と戯れている瞬間だけが「自分が本当に生きている」という実感がした。私はこの営みを愛しているのであって、自分にはこれしかないし、これを天職にして生きていくしかないと思った。

ちなみに高校生になってからは「小説家になる」という目標から(自分の文章のセンスの無さが薄々わかってきたのもあり)「そこそこいい大学に入ってメディア・出版系企業への就職を目指す」という現実味を帯びたものに変わっていたが、根本的なところの感情は変わらなかった。

この生活が終わったのは高校3年生の3月である。大学受験。第一志望はおろか、志望校はほぼ全滅。

「当然の結果だ。お前は観念の世界で遊ぶばかりで、現実と必死に向き合って生きるという人として当然の営為をないがしろにした。これは復讐だ。因果応報だ」今まで目をそらしていた現実が目の前に立ち現れて、私にそう言った。

「To Beさんはもっと、当たり前のことをちゃんとやった方がよかったね。たとえば授業中に寝ないとかね」担任の先生、本当にあなたの言うとおりだった。小説を書いていたことはほとんど誰にも秘密にしていたから、自分だけが本当の原因をわかっていた。

反省。それなら私は小説を書くのをきっぱりやめて、今度こそ現実と必死こいて向き合ってやろうではないか。

それから私は1年間浪人をして、翌年には当初から第一志望にしていた大学に運よく入学することができた。

問題はそのあとだった。
さて、無事に大学入学も決まったことだし小説を書くのを再開しよう。

なるほど、始めはよかった。1年も文章を書いていないと“慣れ”や“勢い”みたいなものが失われて、白紙のノートから「あんた、今更何しに来たの?」というよそよそしさを感じることがあったものの、しばらく練習すれば元に戻るはずだ。あとは書きたいことを探して、書くだけだけだ。楽しみだな。そう思っていた。ところが。

……
……なかった。
書きたいことがなかった。
なくなった。

こう書くと絶望感が漂ってくるけれども、その時の挫折の感情は絶望を伴っていたわけではなかった。8割の楽しさと2割の寂しさ。この感覚が正しい。

なぜ書きたいことがなくなったのか。それは当初から私が小説を書くモチベーションにしていたのは「このクソみたいな現実から逃げ出したい」という現実逃避の気持ち、「世の中みんな間違っているんだ」という青い反骨・反発心、これである。受験を経て自分の望む環境を手に入れた20歳の私に、そんな感情が残っているだろうか。

もう反抗期じゃない。浪人をさせてくれた親にも、進路の相談に乗ってくれた先生にも、予備校時代の友人や講師にも、つらい時に励ましてくれた高校時代の友人にも感謝しかない。

大学も楽しい。高校の先生が「大学にはTo Beさんみたいな人がたくさんいるよ」と言った意味がわかった。世界は広くて、私なんか及びもしないくらい桁外れの人々がこの世にたくさんいて自信をもって生きていて、私なんかまったく大したことない。

もう生きづらくない。現実が楽しい。もう現実逃避をしたり、世の中に中指を立てたりして生きていかなくていい。

そう思った時に気づいた。私は文章を書かなくても生きていける。生きていけてしまう。天職じゃなくて趣味。血反吐を吐いてもペンだけは離しませんでした、そんな狂気じみた天才でいたかったけど、全然違った。私って死ぬほど凡人だ。

ちょっとばかし現実が楽しくなったら忘れてしまえるほど軽い存在だったのだ、私にとって文章を書くってことは。現実はすごく楽しくて、でもそれに気づいて少し寂しい。昔すごく仲の良かった親友と今では疎遠になってしまったことに、実は何も感じていない自分を見つけたときみたいに。

私は天才ではなかった。当時の気づきから10年近くの時間が過ぎた。今、私はタクシー会社で働いている。一見文章を書くとかいう営為とまったく関係なさそうな会社で。でも、すごく不思議なことに、私にはこの会社がとても合っていると感じている。

それは業務内容とか給料とか働き方とか、言葉でたやすく定義できるものとはちょっと違っていて、この会社の魂みたいなものである。私がこれまでの人生で大事にしてきたこと、たとえば「当たり前のことを当たり前にやること(前述の通り大学受験で痛い目を見たことから)」「自分の頭で考えて判断して行動すること(高校時代の恩師が浪人を決意した私にかけてくれた言葉)」、そういった信念を、この会社もまた魂の部分に持っているのだ。

天職って何だろうと考えるときに今の私が考えるのは、自分がどんな職種に合っているのかという、そんな定義のケージに嵌った概念ではなくて、生き方とか魂の向いている方向とか人生のリズムのようなものが自分に合致することだなと思う。

たとえば私は文章を書くのが好きという人間だが、そういう類の人間が小説家とか編集者とかになることが天職かといえば、決してそれだけが真実ではない。好きなことを仕事にできれば万々歳だが、それがうまく嵌らなくて就活で悩む人は多いはずだ。

もちろん好きを仕事にすることも一つの方法だが、それは「すでにこの世にある××という職種に自分を当てはめる」ということで、××という言葉の定義以上に仕事の幅を広げようと思えなくなってしまう。

方法はもう一つあると思う。逆である。「仕事に好きを持ち込む」のだ。××という職種に自分がついたとして、そこに自分が好きなことの要素を活かして働くとどんな化学反応を起こせるかということだ。

これに関しては答えがない。どれくらい自分の裁量が認められる社風かという極めて現実的な問題もあるし、どう活かすかというのはいろいろな方法があって、それは私たち一人ひとりが自分の頭で考えないといけない。

でもその先に実現できることは無限の可能性を秘めていると思う。だって××という職種は一つだけど、そこに人の個性が掛け合わされたら無限のパターンが発生する。

「絵を描くのが好きなので、タクシードライバーとして漫画を描きます」「動画づくりが好きなので、この会社でYouTube番組をやります」「スポーツ一筋の自分だから、営業所にジムを作って乗務員の健康を増進させます」……すべてうちの会社にいる人の話である。

そういう私もこのアカウントで文章を書かせてもらっているし、うちの会社の公式noteの中の人をさせてもらっている。ありがたい話である。

すべての人が「これが天職だ」とわかって就職するのではない。そんなことは社会に出る前の若い学生にはわかりようがない。AIやフローチャートが教えてくれるものは、参考にはできても判断するのは自分だ。

だから私は、天職というものは職種の中に正解はないと考える。それよりは、自分の魂の向いている方向と、(もし就職するなら)その会社が向いている方向が同じかどうかというのを、選択の基準に置いた方がいい。

タクシーという仕事のかっこよさ、この会社の人々の魂が向いている方向。私の場合そういうものが、私がかっこいいと思うことや私が譲れないものの考え方と色合いが一緒だったのだ。

もちろんこういうことを考えて大学生の時就活という「現実」に向き合っていたわけじゃない。すべては後付けで、決断は直観である。
しかし。実際の決め手は「内定出たし、社風もいいし、嫌なら転職すればいいから、もうここに『えいや』で決めちゃお」であっても、自分の選択をそのあと間違っていたと定義するか、最高だったなと定義するかは自分次第だ。

魂の合う場所で働いていたら、その文脈の中で営む仕事はすべて自分の天職になりうる。天職というのは探すものでもなければ見つかるものでもない。今の仕事を天職にする方法を探す。それが私にとっての今のところの真実である。


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