新曲『化け物』について

お久しぶりです、tobariです。

今日より私の新曲である『化け物』のサブスク配信が始まります。今回はその『化け物』という曲について、少しだけ話そうと思います。

まず、これを作ったのは1年前、高3の冬でした。朝、半分寝ながら登校していた時、イントロのフレーズがポッと浮かびました。本当にこれはふと浮かんだもので、しかしそれでありながらその時から1ミリも変わらない強いフレーズと言えます。

学校に着いた私は授業そっちのけで持ち歩いていた白紙の五線譜にそのフレーズを書き留めました。これは私が常々言って(思って)いることなのですが、
「この世には1度聴いたら忘れられない、もしくは口遊んでしまうような強いフレーズ/メロディというものが存在して、それらを作れる作曲家こそ素晴らしい」
というものです。そしてその当時、私はこれに少し近づけたような感覚を覚えたため、教室の隅で五線譜に懸命にメモをとる変態行為も、無理はないでしょう(ある)。

そしてそこから、思想、歌詞、コード進行等をあてがい、スコアを書き上げました。この時点で、12月か1月かだったと思います。ここで、私は所属していた軽音同好会にて、「卒業ライブ」なるものがあると知ります。

私は「これだ!」と思ったのを、今でも覚えています。ここで私のオリジナル曲をやれば、作曲家としての私を周囲に認識してもらえると思ったのです。そして丁度2年前の3/29、実際に演奏をしました。

その時、複数の友人から"あのフレーズが印象的だ"と褒めて頂いたんです。私が欠伸をしながら登校をしている時にふと浮かんだ、あのフレーズ。

私はその瞬間、絶対にこの曲を世に出そうと決心しました。思えば、これが無ければ私は今でも1人閉じこもって曲を作り、気が向いた時に数人の友人に聴かせるだけだったでしょう。そう考えると感慨深いですね。


この曲のタイトルである「化け物」は、人間の感情、情動のことです。1サビ後半の歌詞「感情さえ口に出してしまえばただの音の波だ」は、そうした人間の激情は、言葉という"記号"に変換してしまうことでただの人間社会におけるツールに成り下がる虚しさを表しています。

皆さんは、"言葉"をどう思いますか?
かつて、有名な作曲家クロード・ドビュッシーは「言葉で表現出来なくなった時音楽が始まる」と言ったといわれています。私は、言葉は、芸術よりも狭いと思います。池の水をバケツひとつに入れようとしたら溢れるように、私たち人間の感性という池の水を、言葉というバケツの数杯ではとても全てを運べないし、溢れてしまう。

少しだけのつもりが長くなりましたね。それでは、私の新曲『化け物』をよろしくお願いします。

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