時間の面影
「時間の面影」
濱田英明さんの展示のタイトル。
今日、神戸まで2時間ほど車を走らせて、その展示会場に向かった。
記憶が新鮮なうちに言葉にしておきたいので色々ずらっと書いてみる。
何がこんなにも感動させてくれたんだろう。
作品を見続けるにつれて、自分がどこにいて誰だったか忘れるような感覚。
ぼんやり幸せな時間を過ごした日に
見る夢はこんな景色に溢れるんだろうな。
どこかで見たことがあるようで
まだ出会ったことのない瞬間たちが目の前に現れたような感覚。
その光景は間違いなく自分のもの
のような気もするけど、
不特定多数の誰かのもの
みたいにも錯覚する。
まるで主語が溶け出すような時間だった
自分が想像するに、
撮り手が自分自身のためだけに目の前の時間を切り取っていては
そのような感覚が観覧者に呼び起こされない。
見てる自分たちが何となく広がりを感じてワープした心持ちになれたのは、
生命・時間・空間など各々に埋め込まれている鼓動/リズムのようなものが、作品の中で拾い上げられているからなのかな?
など考える。
展示に足を運ぶ前、
「残る作品とは何なのか」
ちょうど考えていた
今回、濱田さんの視覚芸術を見て、話を聞き、
ちょっとその疑問を言葉にできそうな気がした。
「時間と空間の尺度に広がりがあるほど、残る」
というのが今の仮説だ。
ただそこにあった美しさ、というだけの話ではない。
もっと、もっと、昔の自分や誰かも見て感動していていたであろう、
未来の自分や誰かがどこかで味わうであろう感性が混ざり込んでいる。
越境。
抽象的で意味わからんすな。
まあ気にしない気にしない。
さいきん、インスタントに写真を撮る感覚が増えていた。
チャッと撮ってパッと選んでYES!みたいな。
いまは、シャッターを切る前の、時間を見つめる感覚をもっと増やしたいなと、という気持ちだ。
カメラを持ち歩いて、撮らなくてもいいから、眺めていたい。
そんな感じです。
少し前の話。
数年前にカメラにハマり始め初めて写真集屋さんに行ったことがあった。
その時、だれの写真かも知らずに衝動買いをした「DISTANT DRUMS」
それが濱田さんという存在との出会い。
「こんな瞬間に立ち会い続けられたらなんて、素敵な人生なんだろう。」
ページをめくる度にそう思った写真集だった
なんだかんだで折に触れて自分の知覚に、深く何かを刻んでもらっている。
今回は時間と空間の広がりについて、忘れたくないなと思って
それが具現化されたようなオランダ産のノートを買ってみた。
365日分、真っ白なページにただ番号が振られている。
その厚みが時間の広がりを感じさせてくれる。
デジタルメモじゃなくて、こういった情動に根差した買い物が深く自分の体験として残るんだろうな、と思ったり。
机に置き続けてみたい。どんな感触になるか、楽しみ。
フォーム、置いてみる。気が向いたら送ってください◯
▼お便りフォーム
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?