脳の動かし方を使って本当の病の原因を考え回復させる。。(~私の五十肩の激痛からの気づき)
2024年度7月の私のリアルタイムの五十肩発症
それに及ぶ、~体と脳、そして心の使い方の私なりの方法について~
ここで記します。
この記事は以下目次となっております。
(時間がない方は、とばして、ところどころお読みを)
1)朝起きたら肩があがらない認めたくない五十肩の発症の経緯
それは7月第一週の週末。
夜勤もあけて、勤務も無事終了して、安堵の気持ちで
床に就いた翌日。
いつも開眼したら、すぐに座位↔立位をとるのに
激痛が走って、ベッドの上でのたうちまわる。
左肩から腕までがしびれて、激痛でそして、うごかせない。
髪の毛もしばれないし、立位バランスがままならない。
屈曲(前方挙上)10度 後方進展(進展)不可
外転(外側挙上)10度 内転(内側挙上)40度
このまま、仕事もできないし動かないままだったら・・不吉な予想を振り払い、病院へ病休依頼メールと自らの診察へ。
診断は、『左肩関節周囲炎、左上腕二頭筋腱鞘炎』
先生が笑いながら言った。。
『いわゆる五十肩というやつですねー。でも炎症があるから、しばらく動かないかもね2週間くらい安静かな。』
笑いながら言わないでほしい。。。事実ですけど年齢的にも!
同じ看護師をし続けほぼ定年退職した母に言ったら
『やっだああ。。お母さんもなったことないけど。。』と一笑。
もう!悔しい。。今まで働いてきてこんなことなかったのに!
上司に病休のメールをするのが本当に嫌だった。正直なんだか
自分が借りを作るようで(そいういう問題じゃなんですけどね
そういうところが、病を作ってるのでしょう。)
2)そして考えた。私は「なぜ肩を動かせない状態」に自らをさせているのか。
しばらく自己嫌悪に陥るのでした。
この突然土日に勤務変更してくれた、スタッフの皆。そして采配してくれた
上司。ひとしきり落ち込んだら、深呼吸。
私は自分の心の奥底のもう一人の自分にそっと問います。。
『ねえ、自分。なんで、肩をわざわざ痛くして動かさなくしてるの?
何がいいたいの?』
ここのところどんな心持でいただろうか。
~仕事に限らず、プライベートでも、今展開しようとしてることでも
自分がまずやってみよう、自分で、、、と
気持ちばかり焦って、行動ができず、自分で自分を嫌いになってた。
自分を認められず、落ち込んでもいた。~
~そもそも、ここのとこ、新人との勤務が続いて
そこに対して、自分がしっかりと観ないとと
気ばかり焦って
育成の手ごたえは感じてるけど
自分の責任だと気負ってしまっていたのでないか。~
人に頼る、困ってることを表出する、打ち明けるということが
少し皆無に近かったかもしれない。
いつもなら、ダメな自分も公表しながら
頼んだり、連携したりできうるのに。
日常の中での実際の肩を抜いての深呼吸
そして心の深呼吸が足りんかったな。。
ちょっと深呼吸してよ。。ちょっと頼ろうよ。。
自らの中の小さな心から、そう聴こえてきた気がしました。
そして私は
ごめんね自分。。そう省みて、自らに声かけました。
そして以下の心の自らの姿勢が、私の腕と肩に痛みを走らせ
動かなくさせてると思うのでした。
~頼めない、一人で抱え込む自分の心の姿勢が
日常の体の使い方、看護ケアの自らの姿勢につながり
そして私の肩と腕は、動かなくなった~
ひとしきり思いめぐらして、
そっと自らの左腕をさすり、実際に『ごめんね、ごめんね』
そうささやきました。心の中で。
脳を動かして、心と体を統合させたら
あとはやることは、回復への行動。
そう、どうしてなっちゃったの!でなく
どうしてそうさせたのかという解釈、脳の使い方が大事なんだと
想うのです。
3)そのあとの肩の経過と自らの見える景色
そのあと、2週間はりはびりと、無理せず安静だね。。
そう言われつつ
私は5日間リハビリと治療を重ね
想ったより早く回復して、仕事復帰します。
上司をはじめスタッフが暖かく声をかけてくれる。
『とあるさんが元気になってよかったわ。。』
『体位変換とかケアのときは、私がやりますから。』
皆、本当にありがとう。そして不覚にも泣きそうでした。
その声のかける頻度の多さと暖かさに
私は再確認したのでした。
『この五十肩は、
周りの支えがあっての自らで
現に支えられての自分で
自分で!と抱え込んでいるその自分も
支えられている中で騒いでいる小さな自分で
それだったら日ごろから
頼ったほうが迷惑かけないことををいい加減きづけよ
っていうメッセージなのかもしれないな。。』
そう自らの奥底の自分と対話して、
やはりごめんねと自分に左肩をさすりながら、謝りました。
~そして本当にありがとう。支えてくれる病棟のみんな~
すぐにリーダー勤務を土日の貴重なところを代行してくれた副師長さん
土日体調変化の連絡を受けて、その日の休日代行師長さん
そのあとすぐに采配してくれて連休としてくれた病棟の師長さん
もありがとう。
そんな皆のおかげで、私は今ここで、一人の看護師として
働けてるんだね。。ありがとう。。そんなより深い、ところで
感謝させられた、普段の感謝の認識が、表面だったのではと
気づかされて
感謝が足りないから心も体も悲鳴をあげてるのかなとも考えるのでした~
4)幼い時からの、不調になったときの頭の使い方の習慣
私は、看護師を20年以上してますが
比較的、体調は管理している自覚はないですが、不調になることが
少ない。
今回の3日に及ぶ病休は、初めての経験で
どちらかというと、勤務の穴を埋めることの方が多いです。
それはなぜか。それが父から譲り受けた、体の変化についての
頭の使い方によるのかなと。
父の言葉で一緒に考える。
『園が終わってから、遊んだとき、いつもオーバー着ようねっていわれてたのに、着てなかったからかも』
『昨日の夜、こたつで寝たまま、夜中起こされて寝床に入ったからかも』
『昨日の寝る前歯磨きしなかったからかも』
小学校上学年から中学くらいになると少し手厳しい家庭教師のように、
なぜ自らが、風邪を、病を、時に学校での怪我を
招いたのか、上記の質問をしながら前向きな探求心を、携えつつ
問いかけてくる。
そして自らがこたえていく。。これが習慣となってました。
(もちろんその前後で、十分いたわりと看護の行動があっての問いかけです)
~そんなことを繰り返しているとあら不思議。
私は小学校時代インフルエンザが大流行して学級閉鎖となっても
学校にいくような子でした。
風邪、小さな病気を不思議としない。
中学も高校も無欠席。
中学の担任が苦笑いしながらいう
『とあるは、元気だなーばかは風邪ひかないってのはなあ
意外と本当なのかなああははは。。。(笑)』
そして、今もめったに体調を崩さない。。
(この五十肩以外はほぼ無欠勤)~
5)頭の使い方(解釈)で体と心を整える。~文献から~
この父の前で風邪は引けない!という、気構え、それも
良くも悪くもあったかもしれない。でもそれだけでなく
頭の使い方つまり自らへの解釈と問いをすることで
体と心を統合し自らを整えていたんだと思うのです。
父のアプローチもあながち、無理やりでなく理にかなっていたと。
この本を読んで。
梯谷 幸司先生著:本当の自分に出会えば病気は消えていく。
この本には、こんなメッセージがあります
『病気は本当の自分からのメッセージ。
病気を辞められる人は病気を敵とはみなしていません。
~病気が本当の自分からの、~あなたは今本来の“生きる目的”と
ずれた生き方をしているよというメッセージだと気づくのです』
『そしてその辞められる人は
病気と向き合い、本当の自分と話し合いを始めます。
本当の自分に対して“これまで無視し続けてごめんね”と
謝罪し和解していくのです。』
こんな話もあります
ピアニスト国府弘子さん。癌を発症し
一時絶望の淵に立たされ、
精神的にも追い詰められる
そんな中 編曲者である旦那様が提案します
“癌は響きがわるい。うちでは癌をポンと呼ぼう!”
癌という言葉がガーン!ってしてしまうし、何やら
病を敵のように感じる感触がありますが、呼び方を
変えただけで、
認識がかわり、心が変化し、またピアノに
向かえるようになれたかのかもしれないと。
NHK Eテレ『がんをぽんと呼んでみたら ジャズピアニスト・国府弘子』3月21日放送 - amass
こんなふうに、自らの命を生き抜くための資本
命の器の生命を輝かし力をみなぎらせるには
きっと身体を、病院に通い、物質的に治療するだけでなく
もしかしてもっと大切なこととして
実際には存在しない『観念や思い込み』
本当の自らの心の声、叫びを聴くこと
誤ったセルフイメージを気づき、徐々に変化させること
このようなことを
脳を大切に、正しく使って(思考過程)
心と体を統合して(自らの心の声と体の声を聴く、自らを愛する)
そして行動していくこと(セルフケア)なのかもしれません。
~今回は私の、認めたくない五十肩から
私自身の、今見たくない小さな自分を認め
そして気づかされたこと
その中で、父母から恩恵を受けた
教育の中での体調管理の解釈について
思い出し、
さらに今までを振り返り読んだ本などでも
深められたので別枠で、記事にしました~
病は気からともいいますが、
頭と心と体を統合する、意識して大切にして使っていくこと
それがよく生き抜くよく死ぬ事へつながっていくのかなと
想っております。
長くなりましたが、今後も命と生命を大切にして
皆が自らをよく生きよく死ぬために記事を多側面から書いていきます。
ご意見ご教授願います。~
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