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人生の日々、筋目でのデブリーフィングそれが自らの命を愛する事

こんばんは。
生命という器の中にある命
その命を生き、そしていずれ死ぬ
この生命、命、生きる、死ぬことについて
考えながら生き抜くとある看護師です。


 今日はデブリーフィングすることそれが、
自分の生きた時間を経験を宝にして
そして自分がよりよく生きる、そして
自らの命を愛することにつながるんじゃないかな。。
そう気づきが得られた経験を記したいと思います。


 


1)立て続けの状態変化

 この勤務のターンは、
連続して、何故か、患者様の状態変化に遭遇している。
すべて危険、急変を予測しての対応を実践し
患者様の急変には至っていない
(というかその最悪の状況は免れた)
大きな変化には至ってないが、
これはなぜなのか?
何がそうさせてるのか?
何かを気づけと、神様がぉっしゃられているのだろうか(遠い目)。。。
そうか、同じことが続くということは
きっと、学びと振り返りが少ないよっていうことね。。』と
解釈しました。(自分がどう解釈するかが大事だと思ってます)

そして決めました。
『次の同じような状況変化に遭遇した時
個人だけでなく、皆で勤務後のほんの少しの時間で
デブリーフィングをしよう、これからはそれを徹底してみよう』


2)デブリーフィングとは


デブリーフィングとは、簡単に言うと起きた事例の振り返りをすることです
最初は軍隊で活用されていたものとのことです。

デブリーフィングとは
1つ目は「軍事用語で、任務の結果を報告させる」という意味で、任務が終わって帰還した兵士に対して結果を報告させることを言います。

2つ目は「医療用語で、つらい経験をした後に、それについて話し合うことで克服する療法」という意味で、トラウマと向き合うことで乗り越えて行く治療法のことを言います。

「で ブリーフィングは英語の「de briefingが日本語化した言葉で、動詞「debrief」には「任務の結果を尋ねる」という意味があります。

https://meaning-dictionary.com/

 デブリーフィング、それは医療の現場では、何かが予定されていた事、
されていなかった事かかわらず、何らかの事象が起きた時に、一同関係した皆が集まり、そこで話し合いをすることです。
 様々な活用が現場でされており、災害時の被災者への心理的サポートにも
活用されていた歴史もあります。
活用のされ方はその現場に任されているところがあり、全ての現場でされていることではありません。(潜在的にされていることもある)


2)実際の実践~デブリーフィング~


そんな自分とのデブリーフィング、自己対話した次の勤務に
一年目スタッフが、初めて患者様の状態変化に遭遇。
急変対応と報告をチームで実施することができた。
その勤務終了後、デブリーフィングとはから説明し
皆で集まり
実際に振り返りをした
おきた事象はどんなことだったと思うか
 ・起きた事象(患者の状態変化)はどんな経緯だったのか
おきた事象をどんな風に受け止めているか
 ・それぞれがこの状態変化とそれにまつわる自分たちの対応
  についてどう思ったか
おきた事象をどんな風に今時点で、咀嚼しているか
 ・自分のそのときの行動とそれの意味についてそしてどんな
  風に次できうるか。
そちらをまず自らのみずからが指示した事、行動について
上記の3段階で、説明した。
その後皆に上記を質問でなく会話の中で、無理なく表出する場を
作ってみた。
『初めての急変だったので、、自分が何をするのか何を学ぶべきか
わかりました』
『実は、状態変化に実際遭遇はしてなかったので。。今日のことは
よかったです。』
~実際の心の底での本当は、どうかとして、
少し、デブリーフィングの前後での彼らの表情が変化したこと
それは、この事象から、何かをきっと学んでくれ、気づき
そして大切にしてくれるだろう。。~
そう信じて。私自身ももっと深く自らを自己の中で、チームで
デブリーフィングを。


3)生きるの中でのデブリーフィングを

 私達医療者は、常に、
患者様の状態変化、緊急対応などに遭遇する中で
役割を遂行する中で、
実は、心は大きく揺らぎ、葛藤を抱えて
それを吐露する場がなく、また次の勤務、次の患者様へと
日々が過ぎていく現実があります。
 その中で、起きた事象をどう受け止めるか、どう受け止めたか
そしてどう行動していくかそちらを、他者とできたら本音で
共有して、
先輩後輩かかわらず、他者の受け止め方、受け止める内容から
気づきを得て、お互いに信頼し、チームを作り上げることが必要だ
そう思っています。


 きっとそれと同じで
何気なく過ぎている、家族との生活、関係。
長年連れ添っている仕事や、趣味の中での大切な
方との人生、関係。
それらも
一日一日とはいわずとも
誕生日や、成人式、
前回の記したお盆などの集まり
結婚式、お葬式
そんな場が実は人と人がデブリーフィングする場と
なるのかもしれませんね。

お互いの振り返りをする
今までの出来事をどう解釈してどう共に生きてきたか
それぞれの解釈を尊重して
共有する場を作る。
そんな場がきっと、絆を深め、
お互いがお互いを尊重し
そしてその集団がさらに、ステージがあがる。。
そんな気がしました。

そしてそんな関係性がないよという方も
自己自身で自己をその都度
デブリーフィングしていく
自分で自分に対話をすること
生きている中で
鎧を着て、役割を見据えて、行動する中で
忘れがちな本当の小さな自分を
大切にそっと会話をしていけたらと
想うのです。
それが自己との対話デブリーフィング。
それは日記かもしれないし
ブログやこのようなnoteかもしれない。
そこで記すことで、自己が自己を見つめて
自己の心を受け止めて
そして次へとまた行動できうる。。
私もこのnoteがそんな役割をしている感触です。


そしてそんな人生の中の
デブリーフィングが、
つまり会話を大切にすることが
きっと生き抜くことにつながり
よく生きる事
そしてよく死ぬ事
自らとそれを囲む大切な皆の
命を愛する事、大切にすることに
つながっていくんだな。。
そう思います。


 今日は自らの振り返りをもっと
大切にいていこうと決めた矢先の
仕事上の、事象を記しました。
~おきた出来事をどう受け止めるかそれは無限。
そこをどう受け止めて、どう感じて
どう行動していくかを
皆で共有したり、話し合うことができれば
皆でなくとも自分自身の中でもできれば
きっと自分も、家族も、職場も、地域も
社会ももっと、よりよく存在する、
よりよく引き継げることができるのでは?
そう思った朝です~

今日もあなたも私も
新しい朝を迎えました。
今日も命を使って大切に生きていけることを感謝して。
今日もいってらっしゃいませ
私も行ってきます。







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