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函館旅行、2日前(帰路・前編)。

函館旅行2日目の朝は6時に起床して朝風呂を楽しんでからの朝食でした。

右奥の黄色い皿には納豆が入ってました。
うっかりご飯と納豆食べてから写真撮るの忘れてた事に気がつきました(笑)
チェックアウトして、少し近隣を散策。
実は昨日から金色の大きな仏像があるのに気がついていたので見に行きました。
なんの案内板も看板もなく、ただ空き地に建ってます。
お香を炊くような場所も放置されてから時間が経ったような感じ。
近くで見上げると結構大きくて作りも立派です。
その場所の側にお地蔵さんがありました。
ちょうど恵山に登る道沿いなので、もしかしたら恵山の道中に鎮座しているお地蔵さんの最初の一体かも。
さて、神社のお堂が木陰に見えてたので入り口を探したのですが、特に看板も案内もなく、どう考えてもこの先なんですけど、町内会の集会場みたいなんです。
中まで進むと参道がありました。
鳥居をくぐって最初の狛犬さん。
ちょっと変わったお顔の狛犬さん。
阿。
吽。
こちらの狛犬さん、恥ずかしがり屋さんのようて目の前の木の陰にかくれています。
もう少し進むともう一対の狛犬さん。
こちらはよく見かける感じ。
阿。
吽。
お賽銭箱はありませんでした。
恵山大権現の神社でした。

恵山大権現といえば、江戸時代、大成町の太田山・太田神社、伊達市の有珠山・有珠善光寺とともに、幕府・松前藩もその参拝を特別許可していた蝦夷の三霊山の一つである。(第1節1、菅江真澄『ひろめがり・えぞのてぶり』、同2、松浦武四郎『蝦夷日誌・巻之五』参照)
お堂から振り返るとこんな感じ。
どうしても吽の狛犬さんが木に隠れているのが気になります。
さて、散策を終えて恵山の北側に向かうために浜道に戻って走っていると、海の景色がよくて写真とりました。向こうに見えるのが青森です。
こちらは函館の方向。
恵山の北側から北上して道なりに走っていくと道の駅がありました。
縄文ロマン!
期待が膨らみます。
道の駅に定休日とかあるんですか!
トイレは使えました、とっても綺麗なトイレ!
隣はこの垣ノ島遺跡の資料館でしたが、当然そちらも休館日でした。
で、建物の反対側に公園っぽいのがあったので向かってみると、実際の遺跡がみれるっぽい。
なんだかワクワクします。
で、丁度10時だったんですが、入り口を進んだ先のスペースに、1人のおじいちゃんが座っていて、無料ガイドさんで10時からガイド始まる時間だったみたいでお客さん僕だけというシュールな状況で、マンツーマンでガイド受けることになりました。
この遺跡の概要説明のビデオをみてガイドのおじいちゃんのお話が始まりました。
ちらっと見えてるのはガイドさんの手!
この遺跡、6000年も住み続けていた貴重な遺跡のようでガイドにも力が入っていて、聞いてる僕も力が入って質問しまくりです。
出土した品には、なくなった子供の足型を取った粘土板がお墓の中から出てきたりと縄文時代でも親子の絆が深かった事が伺える品々が出てきたそうです。
丸くなってる場所が竪穴式住居があった場所との事。
この遺跡、6000年も住み続けてあった形跡がある貴重な遺跡なのに全体の2%しか発掘調査されてないそうで、竪穴式住居の遺跡も維持できないので埋め戻されてこんな状態での展示になってるそうです。
ガイドの端々で予算がないから、という自虐ネタもよりガイドを白熱させる燃料になってました。
ちょっとわかりにくいですが竪穴式住居跡の向こうが盛り上がっていて、そこが盛り土遺構と呼ばれる遺跡との事で、要するにゴミなどを燃やして煙と一緒に天に戻して埋め立てていた場所のようで、近隣の集落からもここに廃品など持ってきてお焚き上げのような祭事をしていたらしい場所のようです。
コの字型の盛り土遺構の中央の部分に円形の盛り土があって、そこからは新品の土器などが出てきて、この場所の更に特別な場所らしく、いわゆるパワースポットと呼ばれていて、その場所では四葉のクローバーがよく取れたり、お笑い芸人の錦鯉がそこでロケをした後にブレイクしたという逸話があります。
遺跡から見える海。
ちょうどこの先で寒流と暖流がぶつかっているらしく、海の幸が抱負だった事もこの場所で6000年も集落が続いた理由と言われているとのこと。
海を背にすると山があって、山の幸も豊富。
この両脇に川が流れているとの事。
ガイドさんとマンツーマンの白熱ガイドを終え、ガイドさんに発掘体験もされますか?と聞かれましたが、さすがに1時間近く時間が経っていたので丁寧にお断りしました。子供さんには是非体験してほしい発掘体験、是非家族旅行で垣ノ島遺跡へ!
その後、先のガイドさんがお勧めしてくれた大船遺跡にも足を運びました。帰り道の途中だったので。
この縄文のところにある赤いマーク、土器にみえますでしょ?
よく見てください、上が北海道で下が青森なんです。
先のガイドさんが教えてくれました。
こちら大船遺跡ではガイドはやってるみたいですが、残念ながら時間が合わなかったので残念ながらフリー探索です。
垣ノ島遺跡よりもかなりコンパクトですぐに見終わりました。
竪穴式住居、僕のイメージしてた穴よりもっと深いんですけど!
結構深い。
人の背丈以上の深さです。
大きな穴は柱が立ってた場所みたい。
遠くからみたらこんな感じ。
骨組みだけ。
こっちがリアルな復元した建物。
どうやら中でケムリを焚いて維持作業してるみたいです。
写真じゃわかりにくいですが、中からもくもくとケムリがでてます。
覗き込むと鍋から火が出てて、その近くに係の人が待機してました。すごい仕事だと思いました。
竪穴式住居も建て替えたりリフォームしたり、年月が経つといろいろあったようで、丸い遺跡が重なって出てくるみたいです。
大船遺跡の特徴って書かれているのでここだけの特徴なのかもしれませんね。
海を背景にパシャリ。
ここはまん丸じゃなくて少し先が尖った舟形でした。
先のガイドさんが舟形の竪穴式住居はその集落のリーダー格が住んでた可能性があると教えてくれたので、少し身分の高い人の住居だったのかも。
こちら、大船遺跡の盛り土遺構のようです。
これを見ると垣ノ島遺跡の盛り土遺構のスケールが桁違いだった事もよくわかります。
道具や魂を送る場所がこの盛り土遺構との事で、その文化はアイヌの文化にも受け継がれている感じがします。
遺跡の横には資料館があり、中でいろんな展示物が見れました。小さい資料館です。
竪穴式住居も時代が進むにつれて楕円や舟形になって進化していったみたいですね。
この恵山国道沿いにはかなりの遺跡が眠っているそうです。そしてほとんど調査されてないとの事。
人類、特に日本の土地の歴史を紐解く重要なヒントがほとんど手付かずでまだ土に埋まっているのは不思議な感じでした。
6000年も続いた持続可能な生活様式は、もしかしたらこれからの日本に必要なヒントがそこにあるのかもしれません。
先人から学ぶ事は多いですが、平安や戦国や江戸とかよりももっともっと前の先人から、こういう形で教えを乞う事もできるんだなぁ、としみじみ思いました。
そして、そういう事業に予算が回ってこない現状に、学ばない結果がこれか、などと思ったり。ちょっと近視眼的すぎませんかね、と感じたり、現代人の傲慢さを感じたり、予算の使い道について色々感じてしまいました。

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