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セーフティーネットとしての仮想世界

こんにちは、小清水志織です。作品以外のかたちで皆さんとお会いするのは「破壊、再生、言葉。」を書いたとき以来でしょうか。
いつも本当にありがとうございます。

先日、金曜ロードショーで、スタジオ地図さんの映画「竜とそばかすの姫」を観ました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この映画は巨大な仮想世界「U」を舞台に、高知に住むごく普通の女の子「すず」が、「ベル」と名付けた新しい自分の姿を手に入れ、「U」の中で大人気の歌い手になっていく物語です。
ネタバレを避けるためにこれ以上は言及できませんが、【現実と仮想世界の関係】について、二つの世界を二項対立的にとらえないスタンスに、深い共感を覚えました。こうした哲学的な問いかけを、私たちと近い生活感覚をもつ「すず」の視点からしっかりと描いていると感じました。

「竜とそばかすの姫」公式サイト

今回は「仮想とは何か」について感じるままに書いてみたいと思います。「仮想」のつく言葉は、「仮想世界」「仮想通貨」「仮想現実」「仮想体験」…など沢山ありますね。建築、経済、文学、近年ではエンタメ業界でも盛んに用いられるようになった概念です。

くだけた言い方をすれば、異次元ぽくてカッコいいし、今風だし、新鮮さを感じるためか、特に十代〜二十代の若者の間で流行している印象を受けます。

「仮想」の英訳といえば、真っ先に「virtual」が浮かぶと思います。しかし、安易に「virtual=仮想」と断言できないことに注意が必要です。

日本バーチャルリアリティ学会の見解では、バーチャルリアリティのバーチャルを仮想・虚構・疑似と訳するのは誤りだとしています。
その上で The American Heritage Dictionary の解説を引きながら、その内容について、

「見かけや形は原物そのものではないが、本質的あるいは効果として現実であり原物であること」

と説明し「これはそのままバーチャルリアリティの定義を与える」としています。

他のサイトなども調べたところ「virtual」を和訳するとき、反対に「仮想」のつく単語を英訳するとき、微妙なニュアンスのちがいや、解釈のちがいによって複数の表現が存在しており、これらが「virtual」の本質とは何かを混乱させる原因になっているようです。

「virtual」の語義については今後も議論が重ねられる話題だと思います(むしろ「virtual」関連のコンテンツが進化・多様化している現在にあっては、議論が起こるのはある意味で必然です)。
「virtual=仮想」と訳すことに対して、学会の見解のように間違いだと言い切るよりかは、私は「本質的である」という意味が隠されてしまう、と表現したほうがいいように思えます。よって、本来の語義を損なわずに「virtual」のコアとなる要素を抽出するならば、

実体はないけれど、それが存在する実感があること

に要約できると考えています。
この要素を理解した上で使うなら「virtual=仮想」としてもよいのではないか(コミュニケーションにおいては、厳密な定義よりも相手にスムーズに伝わる表現を用いた方がよい場合がある)と感じます。

私が考えていきたい「仮想」とは、ゲーム、アニメ、映画、小説、音楽といったIP(知的財産)コンテンツで用いられる「仮想」の概念です。それはまさに「U」で描かれるような、現実とは異なる空間で構築される「もう一つの現実」です。手に取って触れる物体としては感知できないけれど、確かに「そこにある」と認識できる…それが「仮想」だと思っています。

そこで、あくまで便宜上の措置としてなのですが、私が「仮想」について考察する場合、

エンターテイメントや自己表現のためのIPコンテンツにおいて、デジタル技術を利用して現実とは異なる空間を構築したもの

に対象を限定することにします。そうすることで、ほば異論なく「仮想」の英訳を「virtual」に決定できると思います。
そしてその本質は、

実体はないけれど、それが存在する実感があること

に帰着できるのではないでしょうか。

もちろん、建築や経済など他の分野でも「仮想」に対する議論が必要だと思いますが、これらは私がお話しできる範疇を超えていること、私の関心が創作活動を通して作られた「仮想」の空間にあることから、このような条件を付けました。

繰り返しとなりますが「実体はないけれど、それが存在する実感があること」というのは、非常に観念的な事柄です。要するに仮のものは仮なのであり、実際に手に取ることが不可能だと自ら認めてしまっているのです。

しかし、そうした観念的な事柄であるにも関わらず、なぜ「仮想」によってできた世界が急速に拡大しているのでしょうか。これが、私の大きな問題関心です。

「仮想」という言葉そのものについては既に考察したので、ここからは「仮想」によって構築された空間を総称して、シンプルに「仮想世界」と呼ぶことにします。こうした仮想世界や、そこに人間が入り込んで様々な活動ができるサービスは「メタバース」と呼ばれています。

以下の記事には、メタバースプラットフォームを開発・運営する「クラスター社」の代表取締役CEOである加藤直人氏のインタビューが掲載されています。
メタバースの概念が注目され始めた要因として、インターネットの性能の進歩、メタバースが他者の介在するソーシャルの要素をもつこと、企業が物質依存のビジネスからの脱却を図っていることなどが論じられており、非常に興味深い内容です。

私は複数の社会的要因を取り上げたり、込み入った議論をするのは苦手なので、ユーザー目線から仮想世界の持つ魅力を考えたいと思っています。

これは、あくまでも個人的な所感に留まるのですが、

仮想世界は、物質世界の限界を補う精神的セーフティーネットになり得るからこそ拡大した

と考えています。

いきなり結論から書いてしまって、抽象的すぎたかもしれませんね。

当然のことですが、家事も教育もビジネスも恋愛も、人間として生きるためには、あらゆる面で現実という空間を生きる必要があります。この現実とは、対面での人間関係や、実体のあるモノやサービスなどによって成立している空間のことを意味します。

しかし、物質的な現実だけを生きる生活は、往々にして人生の豊かさを損なうリスクを背負っています。なぜなら、そのような現実で行われる活動の結果はダイレクトに自分自身に跳ね返ってくるのであり(とりわけ自分にとって良くない出来事…失恋、失職、借金、病気、災害、事故、犯罪、ハラスメントなどはダメージが大きい)、そのようなリスクを回避するために必要以上のストレスを感じている人が多い気がします。

やや乱暴な言い方になりますが「現実の生活は代替が利かない」のです。現実の自分を補う他のものがないために、自然とリスクを避けるようになり、何をするにしても消極的になってしまうのです。

もちろん、現実が仮想世界よりも悪い場所だと言うつもりはありません。見方をかえれば、代替が利かないからこそ現実での生活は尊いのです。唯一無二の場所、「わたし」という他にはいない存在。大切な人とのご縁やビジネスの成功などは生活に幸福をもたらします。

そのため、現実の生活に満足している人からすると、なぜ仮想世界に浸ろうとする層がいるのか不可解に思うかもしれません。

私は現実の生活でもって満足できる人を、大変に羨ましいと思います。それは自分自身が比較的健康であって、周囲にしっかりとしたセーフティーネット(愛のある人間関係や経済的な余裕、十分な社会保障など)が張られているからこそ言えるためです。
それに比べて、様々な困難を抱えており、わずかなリスクでも社会的に孤立しやすい人、困窮しやすい人は、事実として大勢いらっしゃると思います。

その点、仮想世界における「わたし(アカウント、アバターなど)」とは、現実の自分の分身でありながらも、完全には同一ではない不思議な存在です。

かりそめの世界だからこそ、いかなる存在にもなりきることができます。
替えの利かない物質的な空間とは異なる「代替可能なもう一つの世界」を手にすること。この世界がたとえ観念的なものだったとしても、精神的なゆとりをもたらし、現実世界で起こる様々な苦しみを相対化する効果があるように思えます
仮想世界がもたらす心の安定化作用のことを、ここでは「精神的セーフティーネット」と呼びたいと思います。

もちろん、仮想世界であっても守るべきルールやモラルがあります。悲しいことに、ネットでの誹謗中傷や犯罪は後を絶ちませんし、依存症のリスク、デマの流行など問題を挙げればキリがありません。

だからこそ、現実と仮想世界のどちらか一方ではなく、両方の世界をより良く生きることが大切ではないでしょうか。

私たちが何らかの障壁にぶつかって一番苦しいのは、直面する問題それ自体よりも、思考すべてがその問題に侵食されて抜け出せなくなることです。
問題に直面したときの「逃げ場」を作っておくことは、精神衛生上とても重要だと思います。インターネット上にできた仮想世界がその「逃げ場」(私の言い方では精神的セーフティーネット)のひとつになり得るために、ここまで多くの人を惹きつけてきたのではないでしょうか。

かくいう私も、仮想世界に心の苦しみを緩和してもらっている人間のひとりです。

以上、「仮想」という言葉と、仮想世界の拡大について感じるままに書いてみました。
様々な意見や主張があると思いますし、仮想世界の形態も変化していくと予想されます。今後も、現実と仮想世界の関係について深く考えていきたいです。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。

追記 :
最後になりましたが、「仮想」の言葉に関する議論を考えるきっかけになった、バーチャル美少女ねむ様の記事をご紹介します。とても面白いので、是非ご覧ください。本当にありがとうございました。


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