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そして誰も来なくなった File 1

どうして、ここへ来てしまったのだろう。

一通のB6版の招待状をポケットから取り出して、鉛筆で記された差出人の氏名を確認する。

Noi Taler…ノイ・テーラーと読むのだろうか。日本生まれ日本育ちの僕は、外国籍の友人を作る機会はなかった。唯一外国籍の人と関わりをもったのは大学の入学式だった。たまたま隣の席へ座る男の子が、ぶつぶつ中国語をつぶやくの耳にして、彼が日本人ではないことがわかったのである。気になって少しだけ話しかけると、彼は流暢な日本語で自己紹介し、自分は江蘇州出身で、なんと僕と同じ文学部へ編入してきたのだと教えてくれた。わずか五分だけの会話だったが、彼が勉強熱心さだということが自ずと知れて、舌を巻いてしまった。特に目的もなく進学した僕は、それきり彼を敬遠していた。

ああ、いけない。関係のない記憶を思い出している場合ではなかった。

一枚の招待状に引き寄せられるように、大学の夏休みを利用してとある孤島へ足を踏み入れたのが十分前。水平線の彼方へ遠ざかるスチームボートを眺めながら、絶対迎えにきてくれますよね、と初対面の船長に念じた。なんといっても、この孤島はインターネットのマップにさえ載っていない謎の島なのだ。知らない場所に行くので、事前に決まって白い検索ボックスに孤島の名前を打ち込んでみたのであるが、ヒットしなかった。ご丁寧に緯度と経度が記載されていたのでそれも探してみたが、衛星情報から作成されたマップにはただ真っ青な海が表示されているだけであった。

もちろん、僕もお人好しではないから、怪しさ満点の招待に易々と乗っかったわけではない。さっさと招待状を夢の島へ捨てて、真面目にアルバイト探しをするつもりだったのだ。ところが、カードを裏返したときに目に入った「招待客リスト」のなかに、よく知った名前があるのを見つけて、僕は手が止まってしまったのだった。

島に辿り着くと、太陽の光が砂浜の銀色の粒を反射して、僕の眼を焼きつけてきた。パチパチと眼をしばたきながら、蛇のようにうねうねと曲がる一本道を歩いていく。蛇の道は蛇ってことなんだろうかと、見ず知らずのノイ・テーラーさんへ疑問を投げかけてみた。しかしながら、答えが天から降ってくるわけでもなく、僕は三階建ての豪壮な洋館の前で立ち止まった。

「open」の垂れ札が提げられた金色の取っ手を握って、ぐいと押してみる。引き戸か押戸かで迷ったが、意外と一発で扉を開けることができた。外の熱とは打って変わって、洞窟の奥へ来たような冷涼な空気に、少しだけほっとする。

「よく来たわね」

突然呼びかけられた僕は、思わず後ろへ後ずさりして、辺りを見回した。誰もいない。普通は誰も来ないはずの孤島に、人がいるわけもなく、空耳だったのかと思い直して深呼吸をする。すると、カツカツとハイヒールが床をつつく音が響いて、こちらへ近づいてくるのがわかった。

「貴女は?」

吹きさらしの玄関ホールには、ペルシャ絨毯がぎっしりと敷き詰められている。ホールの左右両端には幅が五メートルはあると思われる巨大な階段が備え付けられており、深紅の布が踊場へと続いていた。左右の階段を昇りきった先が二階部分で、その奥にはダイニングのような広い居室が待ち構えているようである。白い円卓とウッディな椅子の影が、矯正視力0.2の僕でもうっすら確認できた。

「ノイ・テーラーよ。はじめまして、ミスター・サトー」

ブロンズの豊かな髪の毛と妖艶なドレスが、女性慣れしていない僕には眩しすぎる。ノイ・テーラーと名乗る長身の女性は、ダイニングと踊り場の中間の広場で手摺にもたれかかり、か細い僕の体を眺めていた。二、三歩前へ進み、じっくりと彼女の白い顔を観察すると、一つ息をして言った。

「はじめまして、マダム。…あの、唐突に申し訳ありませんが、初対面の人間に嘘をつくのはいかがなものかと思いますよ」

彼女は手を口元へ当てて、あらま、と大袈裟に驚いてみせると、カツカツと階段を降りて僕の側へ近づいた。

「ただのボンボンだと思っていたけれど、案外賢いのね」

僕はムッとして反論した。

「たしかに僕はマザコンでインドアのボンボンかもしれませんが、いくらなんでも名前を間違われて気持ち良くなるような男ではありません」

「うふふ、ミスター・サトーではないのかしら」

「招待状の氏名欄をご覧になったのですね。残念ながら、これは『サトー』ではありません。僕の名前は『佐渡』。佐渡飛鳥、飛ぶ鳥と書いて、あすか、と読みます」

彼女はふうんと息を吐いてこちらに微笑んだ。異性を惹きつける甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「勉強になったわ。ありがとう。名乗るのが遅れて失礼したわね。私はマーガレット・K・水谷。愛知県生まれの母と、シカゴ生まれの父をもつハーフよ。アメリカで教育を受けたから、漢字は苦手なの」

マーガレットは、その名の通り華のような微笑みを向けて、僕と同じ招待状をバッグから取り出してみせた。

「で、飛鳥くんは、どうしてこの怪しい誘いに応じたの?」

「それは、こちらの台詞なのですが…まあいいでしょう」

僕は声を潜めて訳を話そうとした。そのとき、二階から懐かしい声が―僕がここへ来た「理由」である張本人の声が、ホールに響き渡った。

「飛鳥! 久しぶり!」

バタバタと四肢を振り回しながら危なげに階段を降りてくる彼女。やはり三年前と変わっていない様子に、安堵するやら不安になるやら、複雑な感情が錯綜する。マーガレットは眼を丸くして「隅に置けないわね」と残念そうな顔をした。

「そんなんじゃないですよ。幼馴染です」

「二人して、何ぼそぼそ呟いているのよ」

不機嫌そうに頬を膨らませた梶原美里に、僕は溜息をついた。

「よくここへ来る気になったなあ」

「当然よ! 飛鳥の名前が載ってたら、アルバイトとか彼氏とのデートをほっぽり出しても来てやるわよ!」

マーガレットは呆れたように頭を抱えている。

「これが、相思相愛ってやつなのかしら。若いっていいわね」

色々ツッコミたいことはあるのだが、ひとまず美里が安全であると確認したので、ひとまずよしとしよう。彼女は僕の手を引っ張っていき、二階のダイニングへ案内した。どうやら僕が最後の客だったようで、他の八名の客、合わせて十名の人間が一堂に会していた。

「私は、招待客の一人でもあり、皆さんの食事の配膳も任されている執事のギルバート・ロスです」

ギルバートさんは、お盆をもって食事を運んできた。貧乏暮らしが常になっている大学生には涎がしたたるようなメニューばかりである。しかし、その前にここへ呼ばれた理由を知らなければなるまい。僕はギルバートさんの袖を掴んで真意を確かめてみた。

すると、彼は意外にもしょげた表情をしたのであった。

「申し訳ありません、ミスター・サド。私は長年の経験を買われて執事を任されていますが、集められた目的は伝えられていないのです。ノイ・テーラー氏は、かつて私が仕えていたご主人様のお知り合いで、『もしノイ・テーラーから依頼がきたら、私の命令だと思って従うように』と、ご主人様がお亡くなりになる直前に言い遺されていたのです」

なるほど、つまり完全な謎ってわけだ。招待状といい孤島といい、いつか読んだミステリの設定とよく似ている。

「難しい話はいいから、お食事しましょ!」

無邪気にも美里がはしゃいで、テーブルに並ぶフォークとナイフを掴もうとした。そのときだった。

ダイニングの中央に置かれたラジオから、低く重たい声が鳴り響いた。よく聞き取れないが、昭和何年、平成何年と言っているから、どうやら過去の物語をしているらしい。

「ノイ・テーラーって、相当のミステリファンだろう?」

腰を抜かしている周囲の面々とちがって、なぜか僕はまだ見ぬ彼に唇を尖らせていた。

                             (つづく)



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