ジブン株式会社の設立趣意書①

もともと、何をしたいのか分からなかった自分が初めて「やりたい」と思うことが見つかったのは高校生の時。たまたま読んだ「量子論」がきっかけで、「原子や素粒子の動きが分かれば、世の中のことが全部わかるんじゃないか!」と、今にして思えば短絡的なことを思いついたことだった。
バリバリの文系だったはずが物理にのめりこみ、京大理学部に行くんだ!と理系少年になっていた。
でも、世の中そんなに甘くはない。京都大学には進めず、受かったのは材料工学科。家の事情で浪人するわけにもいかず、仕方なく材料の世界へ。
当時入っていたサークルは、人力飛行機とソーラーカー。何やらおもしろそうだぞ!と思って入ったら、ずっぽりのめり込んだ。小さい頃からガンプラやミニ四駆が大好きだったこともあり、リアルなプラモデルを作ってるみたいな喜び、自分の作ったものが空を飛んだり走ったりすることに喜びを感じていた。でも、俄か勉強で入った自分は、プログラムも電子工学も分からず、根っからの理系の天才ばかりに囲まれ、この人たちと同じ土俵で勝負するのは無理だと早々に気付いた。
そこで僕が進もうとしたのが、マスコミの世界。理系の人達はすごいし、やっていることも意義がある。でも、日本には理科系のリテラシーが浸透していない。そこを広める”メッセンジャー”を自分の役割にできないかと思った。
幸い、某テレビ局に採用してもらい、テレビディレクターとしての人生を歩み始めたわけだけど、この世界もなかなかの曲者ぞろい。科学を専門にする部署に行こうと思っていたら、そこの先輩や上司とケンカをしたり、もめ事を起こしたり。この道も閉ざされてしまった。
さてさて、社会番組を扱う部署に進んだ僕は、自分のやりたいことが何だかわからず何となく社内を放浪しはじめた。
でも、取材で知らない世界の話を聞けるのは楽しいし、番組を作るのもしんどいけど、嫌いなわけではない。でも、40歳に近くなるにつれ、だんだん気力と体力が衰えてくる。この先、ディレクターとして生きるのか、別の道を模索するのか。今、そんな境地にいる。

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