見出し画像

ポテトサラダ

ポテトサラダを集めている。
あと、私の前世はじゃがいもらしい。
どちらを冒頭に持ってくるか悩んで、どちらも書くことにした。

じゃがいもは本当に素晴らしい。煮ても揚げても蒸しても炒めても美味しい。唯一、そのまま生では食べられないのもいい。複雑でないとはいえ、ちょっと手をかける必要はあるんですね。

遥か昔から世界各国で老若男女問わず身近に食され愛され、ジャンクフードとしてのポップな感じもいければ、優しいおふくろの味にもなる。その理由は、シンプルにも関わらず、少しは手間をかける必要性があって、なおかつ無限の可能性があるからではないだろうか。

じゃがいもの汎用性には正しく果てがない。語り出したらキリがないので我慢して、今日書きたいポテトサラダのことを書きます。

この解釈が正しいかはさておき、私はじゃがいもを茹でて(チンしたり蒸す場合もあるね)、潰してマヨネーズと混ぜたものは全てポテトサラダだと認識している。

一手間と、マヨネーズという庶民1番の食の味方ともいえる化学調味料は必要だが、果てしなくシンプルなのである。そして、シンプルがゆえ、どんな食材にでも合う。主役を張ることはなく、あくまで引き立て役に徹している。そんなポテトサラダだからこそ、どこにだって登場できるし、無限の工夫ができ、ここに、作り手の魂が宿るのである。きっとどこの店も「どうだこれが俺のポテトサラダだ食らえ」と静かに闘争心を燃やしていると思う。

私が集めているのは、そんな飲食店のポテトサラダの写真だ。店主の闘争心を勝手に想像するのが好きで、店に入れば必ずメニューにポテトサラダがないか確認し、あれば注文して、写真を撮る。撮影そのものには意味はないので、その場の雰囲気や会話を壊さないように注意して、基本的にシャッターを押すのは一度きり。その場で楽しむことが1番の目的なので、写真の完成度には全くこだわらない。角度やブレも気にしない。ただ記録する。

それだけのことを、ここ3年くらい続けている。最近はそれを知って面白がった友人が、私の撮影前にぐちゃぐちゃにしてしまうこともある。それもまた面白いので、ぐちゃぐちゃのまま撮っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?