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事故後カンファレンス

事故が起こった。
風呂場で利用者を転ばせてしまったという。
介護士が付き添っていながら、こんな事故が。

何をおいても利用者のもとに駆けつけて、お詫びする。
風呂から上がった利用者の前で、正式に謝罪した。
主任に報告をして、家族、担当のケアマネに伝えて、謝罪した。
骨折などの大事にならなくて良かった、うちの人は体が大きいから、逆に介護士に怪我をさせていないか心配…など、優しい言葉をいただいた。
「事故報告書を書きますね」
当事者の介護士がリーダーに言うのを聞いて、私はつい首を傾げた。
「事故報告書もそうですけど、次がないように、話し合いをしてください」
「はい…いつですか?」
「早ければ早いほど」
当事者にしては、私から見た彼の反応は、不思議な反応だった。

ハヤくんは、私にこの事業所で相談員業務を教えてくれた先輩だ。
若いながら丁寧な仕事ぶりには定評があったし、他の職員からも人望があった。
けれど、私が入って2ヶ月足らずで、彼はこの世を去ってしまった。

お葬式が終わってから、彼は私の元に来てくれた。
他の人に姿は見えないけれど、生前のように利用者さんに寄り添ったり、記録を読んだりして、事業所の中で過ごしたりしながら、私にはアドバイスをくれる存在だ。

コピー機の前で、ハヤくんが胃の辺りを抑えながら、何やら難しそうな表情をしている。わざと、気づかないふりをして私は続けた。
「あの、今まで、こういう事故の後って、どういう流れて対応していたんですか?決まりはないんですか?」
私の問いに、リーダーも当事者も、不思議そうな表情で周りの反応を伺っている。
「最近、事故っていう事故もなかったからねぇ、その日の夕方と翌朝に報告して、それで終わりかな」
「えっ、カンファレンスはないんですか?誰かがやらなくて良いって決めたんですか?」
つい、みんなに姿が見えないはずのハヤくんに視線をやってしまった。ハヤくんも若干気まずそうな表情ではある。
「この事故報告書はどこに提出するんですか?今後の予防策は、何か決めないんですか?」
「事故報告書は主任に提出したら、主任がファイルに綴じてるんだけど…話し合いをするとか、流れは決まってないのよね」
この問答は、私宛ての電話が鳴るまで続いた。

今まで、やって当たり前だと思っていた事故後のカンファレンスが、この事業所には存在しない。それが私には衝撃だった。
利用者に痛い思いをさせているのに、書類一枚で終わりにするとか。振り返りもしないとか。もう起こさない方法を考えないとか。
私には考えられないことばかりだった。

何より、主任に訊ねても、ハッキリとした回答が得られなかった。
もやっとしたままの私は、その昼のうちにハヤくんに聴いてみた。
「事故防止マニュアルが存在しないって本当なんですか?」
「そんなこともないんですけど、浸透していないってことです」
「まぁ、存在しなかったら、事業所としても存在できませんよ」
んー、と考え込みながら、ハヤくんが本棚を漁り始めた。
「事故、ヒヤリハットが起こった時のマニュアルがこれなんですが」
ハヤくんが取ってきたファイルの背表紙には、「事故防止マニュアル」と書かれていた。
「なんだ、あるじゃないですか」
「はい、でも古いんです」
ハヤくんがファイルを広げて見せてくれた。
なるほど、代表者は一代前の所長の名前、緊急連絡先には三代前の相談員と主任の名前が載っている。一代前の所長の名前があるところから考えて、このマニュアルが作られたのは、おそらく7年以上前だ。
「誰も見ていないから更新されないし、誰にも浸透しないんです」
私は顔を上げた。ハヤくんが、真っ黒な目で私を見ていた。これ以上は言うつもりはないんだろう。あとは、私の領分ということだ。
早速、本部の事務長に連絡を入れた。
「さかきさんが送ってくれた事故報告書なんだけどね、うちで使ってる書式じゃないね」
「違うんですか。でも、これを使ってるものもありますし、今回の事故でもこれを使って書こうとしてるみたいです」
うーん、と、事務長も考え込んでいる。
中途半端に期間が空いた事故報告書の作成時期、昨年初めから不自然に使用開始された、非公認の事故報告書。
「入ったばかりのペーペーが騒ぐのも申し訳ないんですが、事故防止マニュアルの存在が浸透してないとか、事故を起こしたら、事故報告書を書けば良いというだけで完結しているなら、事故防止も何もないと思うんです。本部のマニュアルがあれば、それを参考に作成し直すこともできるので、見せていただきたいんですが」
「えーっと、なんていうか…ごめん」
「なんで事務長が謝るんですか」
A4の裏紙に書き出した疑問点と、解決策の案を順番に伝えていき、事務長に言われたことを空いたスペースに書き込んでいく。
ハヤくんが私のメモを覗き込みながら、うんうんと頷いていた。
「問題は、主任が事故防止マニュアルはない、と言ったことかな」
「それもそうですが、報告書の提出先は主任なんですけど、カンファレンスの開催者が決まっていなくて、誰が仕切るのかがわからないことと、この報告書の上に書いてある、《事故発生時フローチャート参照》のフローがどこにあるかが分からないんです」
ハヤくんがこちらを見た。もの言いたそうにしているが、多分話す気はないんだと思う。
「そもそもその報告書がうちで使ってるものじゃないっていうのも気がかりですが」
「まぁ、公式の報告書はもう少し探してみてよ、あるはずだから」
「分かりました」
「なかなかそっちへ行けなくて、さかきさんには辛い思いをさせてると思うけど、無理はしないで」
「ありがとうございます。事務長もお忙しいのに時間取らせてしまってすみません」
二人とも黙った。
少し深呼吸の時間ができた。
「それで、今私が一番困っているのは、今回からでも、事故後カンファレンスをやってほしいと思っているのですが、誰に言ったらやってくれるかって事なんですが」
「そうだね」
事務長が考えて、考えているのが分かる。
「さかきさんとしては、相談員として、家族やケアマネに対して事故の報告をする際に、こういう話し合いをしました、今後はこのように気をつけて参りますって言えるようにしたいってことだよね」
「そうです、カンファなしでは、突っ込まれた時に私の武器がありません」
「至極当然の意見だけど…さかきさんからカンファレンスをやるように言ったら、全部をさかきさんがやらないといけなくなっちゃう」
「…はい」
言い出しっぺが損をする状態になると、事務長が遠回しに言った。
なんで新人に、損な役割を押し付ける風潮があるのかは分からないけれど。
誰もが仕事を増やしたくないというのは当然だと思う。だから私も肯定の相槌を打った。
「ハヤも色々考えて、意見を言っていたけど、結局みんなが動かないから、全部ハヤがやっていたんだよね。だからみんな何も知らないし、浸透していないんだよ」
「みんなよく涼しい顔していられますね」
ハヤくんは新人ではなかった。5年以上の介護士経験をこの事業所で積み、当時の相談員が退職するのを機に、パソコンの操作ができることを理由に、相談員に「させられた」のだという。
引き継ぎもそこそこに相談業務を任され、分からないことはネットや本で調べて解決してきたらしい。
相談員になりたいと言って入ってきた私と、介護士を続けたくて、でも相談員にならざるを得ずになったハヤくんとでは、モチベーションは天と地ほどに違うだろう。
それでも、実際に相談業務をやっていると、たくさんの問題が噴出してきた。これを解決するために、ハヤくんはあえて「言い出しっぺ」を買って出たんだろう。
尤も、それによって、相談員がやらなくても良い業務まで背負わざるを得なくなってしまったが。
「さかきさんは、そうはならないでね」
「あ…はい」

前にハヤくんからも言われたことがあるような言葉を、事務長から投げかけられて、私は我に返った。
「じゃあさ、リーダーに、こう聴いてみてよ」
「はい」
「事故後カンファレンスは、誰が開くんですか?誰に責任を持ってやってもらったら良いですか?って」
「はい」
「そうすれば、何かしらの回答がもらえるから」
「はい」
事務長の考えとしては、こうだ。
デイケアデイサービスのトップのリーダーに直接訊ねることで、責任のある回答を得られるはず。冗談なのか本気なのかわからない時は、「それは、デイケアデイサービスのリーダーとしての意見ですか?」と確認すれば良い。
その時に、カンファは当日のリーダー(デイケアデイサービスのトップではなくて、当番制のその日のリーダー)が開催するとか、事故を起こした当事者が開催するとか、回答が得られれば、その人に開催して貰えば良い。
「なるほど、よく分かりました。確認してみます」
「全部をさかきさんが負う必要はないから、その為の手続きだと思って、ね」
「はい」
納得した上で、私は電話を切った。
「リーダーに聴いてみます。それで、答えをもらいますね」
「わたしも、それが一番だと思います」
ハヤくんも、頷いた。
そうして私はカンファレンスを、事故が起こった当日のリーダーに開催してもらうことができた。
夕方の、そのカンファレンスの後で。
多くの職員が退勤した後も、カンファレンス後の振り返りというか、反省会が続いていた。リーダーも看護師も、まだまだ言いたいことがたくさんあるようで、「私はこんな事は絶対教えてないのに」だとか、「なんであんな介助をしたんだろうね」とか、声高に喋っていた。

私は聞いているふりをして、事故で怪我をした利用者の担当ケアマネに、作成した事故後カンファレンスの報告書をファクスで送信した。
それから、パソコンの検索ウィンドウを開き、事故報告書、と打ち込んだ。
「あった」
事故報告書のフォルダを見つけ、開けてみた。
「事故発生時マニュアルです」
作成者は…ハヤくん。
「これじゃないって言われた事故報告書」
作成者に、ハヤくんの名前が表示されている。ハヤくんが独自に作成したものだと、これでハッキリした。
「ハヤさんは、全部自分で背負っていたんですね」
「やる人がいなかったら、やるしかないじゃないですか」
独り言みたいな私の言葉に反応して、自嘲気味に、ハヤくんが言った。
今でこそ、新人の私に丸投げするのは良くないという風潮にはなっているけれど。
今でこそ、相談員に用事を押し付けるのはやめようという風潮にはなっているけれど。
その当時は、ハヤくんにやってもらうのが当たり前だった。
亡くなってから、介護士たちは「辛いことがあるなら言えば良かったのに」なんて、言っていたけれど。
ハヤくんは、何も言わずに、自分でやってしまった方が楽だと思ってしまったんだろう。
涙が溢れてきた。
ハヤくんが、席を立って、すっとデイサービスルームへ行ってしまった。
それと入れ替わるように、デイサービスの職員がやってきて、私の様子を見て、驚いた。
「わっ、さかきさん、なんで泣いてるんですか!」
「えーっ、泣かしちゃったんですか!」
「違います、私は今来たばっかりで…」
涙が止まらない。なんでハヤくんは一人で、こんな苦しい思いを抱え込んでしまったんだろう。
こんな出来事で、みんなに心配をかけてしまったんだけれども。
ハヤくんとは違う、解決方法を見つけていかないといけないのだと、思い知った。

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