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音楽で救われるってなんなん

音楽で救われるわけないだろって思っている。
"救い"って言葉が結構苦手なのもあるが。   そんぐらい僕は音楽の薄っぺらさを感じている。聴く側の薄っぺらさも。
音楽が嫌いなわけじゃない、寧ろ大好き。一日中聴いている。
ロマンチックじゃないとか、貧相な感性とか言われるかもだけど違うのだ。瞬間的な快楽は分かる、その快楽を覚えているだけじゃないのか、僕だってサンボマスターの"できっこないをやらなくちゃ"を聴いて気持ちよくなることだってある。 だけど心が動かされるぐらいで救われたって気持ちになるなら糞食らえだけどね。なんて単純。 多様性とはよく言われたもんですが何をもってそんなこと言えるのか。

救われるだとか簡単に言える人ほど言葉の重さを理解していないような気がする、自分に酔いすぎている、向き合うことを避けている、灰を被ったシンデレラ状態がそんな好きなのか、何も動かずただのメルヘンお嬢様。周りのお花枯れてても咲いているのを思い出している。音楽は自由だけどなんかそんな人がいるのがモヤモヤする。純愛について素敵な歌詞書いてても不倫してたりするじゃん、病み病みな人向けに思っても無いことを曲にして書いてる人もいるじゃん。それなのになんでそんな信仰対象にするわけ。       「そんなダメな自分が好きなんだよな〜」とか、「その人自身を見たいの」とか言ってるけどそれが言い訳がましく聞こえる。だるい。 

好きでも尊敬なんてしてないし、尊敬してても好きではないし、擦り合わせとかじゃない、これからやっていくとかではない、もっと大きい何かがある、「まぁまだ若いからこれからよ笑」って思ったあなたも嫌いです。僕のことを視野が狭いと思ったあなたも嫌いです。

こんなこと言っておいてなんだけど、音楽による影響が無いと捉えてほしくない、影響というものは凄く大きくあると思う、人によっては行動の要素の一部分を担うかもしれない。だけどそれが救いとは言いたくないだけ。

でもあえて言うなら音楽じゃなくてその向こう側にいる人や景色に救われてるんじゃないのか、その人が本当にあなたを救える人なのかは知らないけど。


あなたの救われた音楽って何ですか      それは本当に音楽ですか

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