とづか

しがない会社員の独り言。普遍的に過ごす中で思うことを書いてます。 こんな人もいるんだと…

とづか

しがない会社員の独り言。普遍的に過ごす中で思うことを書いてます。 こんな人もいるんだと知ってもらえたらこれ幸いです。

最近の記事

言葉でつくりたい。衝動だけが先走り、その後姿を思考が棒立ちで眺めている。言葉を使わない日など無いのに、言葉で何かを紡がないと自我を保てないかのように、その衝動は突如襲いかかる。果たして、どれほどの人がこの衝動を抱え込んでいるのだろうか。衝動との付き合い方を、誰か教えてくれ。

    • 寒くなるとアイスが食べたくなる。だが、夏の暑い日にアイスは要らない。かと言って暑いものを食べたくはならない。暑い日には喉越しのいいものを味わいたい。どうやら夏バテしているのは胃腸だけでなく、味蕾もバテているようだ。

      • 街中のランウェイ

        にゃお 黒猫が目の前をゆったりと通る。 その足取りは一歩一歩がとても優雅で、まるでランウェイを歩くモデルの如く、色艶やかなその毛並を見せびらかせている。昇ったばかりの朝日がスポットライト役を買って出ており、一層モデル感を引き上げている。 優雅さを忘れずに目の前を通り、斜向かいの駐車場に止まっている車のボンネットに飛び乗り、モデルは次に”毛繕い”というポージングを始めた。 まずは前足、顔をなで、しなやかな体躯を艶めかしくくねらせ、横腹を丁寧に毛繕いしていく。 噂に聞くと、猫の

        • SNSで洗練された写真を見るのが好きだ。部屋のレイアウト、小洒落た内装のカフェ。小物ひとつとってもデザインや配色がきれいで、段々楽しさと同時に多少の嫉妬も顔を出す。その空間へ溶け込む自身を妄想し、勝手に憧れと嫉妬を抱く。家へ着き鍵を閉めた音を聴けば、妄想の自分も慌てて家路を急ぐ。

        言葉でつくりたい。衝動だけが先走り、その後姿を思考が棒立ちで眺めている。言葉を使わない日など無いのに、言葉で何かを紡がないと自我を保てないかのように、その衝動は突如襲いかかる。果たして、どれほどの人がこの衝動を抱え込んでいるのだろうか。衝動との付き合い方を、誰か教えてくれ。

        • 寒くなるとアイスが食べたくなる。だが、夏の暑い日にアイスは要らない。かと言って暑いものを食べたくはならない。暑い日には喉越しのいいものを味わいたい。どうやら夏バテしているのは胃腸だけでなく、味蕾もバテているようだ。

        • 街中のランウェイ

        • SNSで洗練された写真を見るのが好きだ。部屋のレイアウト、小洒落た内装のカフェ。小物ひとつとってもデザインや配色がきれいで、段々楽しさと同時に多少の嫉妬も顔を出す。その空間へ溶け込む自身を妄想し、勝手に憧れと嫉妬を抱く。家へ着き鍵を閉めた音を聴けば、妄想の自分も慌てて家路を急ぐ。

          終点までの歩き方、送り方

          シルバーの指輪にゴールドのイヤリング もちろんネックレスもたくさんござれ 大切な着物たちは桐ダンスで居眠り たまには外へと連れ出し起こそうか 立ちっぱなしのお琴 疲れてるだろうから寝かせて 綺麗な声に耳を傾け みんな大事な祖父母の相棒 次の相棒候補に孫はいかがでしょう 祖父母、御年90。 足取りはすっかり覚束なくなり、杖や手押し車が無ければ外出も難しくなった。認知症も彼らの背後をちらついており、所謂まだらぼけの状況である。 進行が思ったよりも緩やかで、身内のことを覚えてくれ

          終点までの歩き方、送り方

          友人のyoutube投稿を見て、好きなことを媒体に載せて届けるのは楽しいものだと感じた。ずっと二の足を踏み続けているが、いつかラジオのように声をネットに流してみたいと考えており、友人の投稿をきっかけに実行したい思いが強くなっている今日この頃…。

          友人のyoutube投稿を見て、好きなことを媒体に載せて届けるのは楽しいものだと感じた。ずっと二の足を踏み続けているが、いつかラジオのように声をネットに流してみたいと考えており、友人の投稿をきっかけに実行したい思いが強くなっている今日この頃…。

          創造したり、改変したり。日々の一瞬だけをそうするのにも、膨大なエネルギーが必要になると感じる。そしてエネルギー枯渇してきたと思ったら、自分の好きの根源に触れてみる。少しずつ回復してくるのが分かり、また歩みだそうと思える。

          創造したり、改変したり。日々の一瞬だけをそうするのにも、膨大なエネルギーが必要になると感じる。そしてエネルギー枯渇してきたと思ったら、自分の好きの根源に触れてみる。少しずつ回復してくるのが分かり、また歩みだそうと思える。

          ラジオと日記にハマった。 どれも子供の時には興味が湧かなかったものばかりだ。多種多様な話題に触れ、自分の考えや思いを書き連ねる。 ひとつ違うとこにハマってしまえば、閉鎖的にも開放的にもなり得るこの感覚は、まるで一本橋を渡るようなスリルと錯覚しそうになる。今日もそんな娯楽に勤しもう

          ラジオと日記にハマった。 どれも子供の時には興味が湧かなかったものばかりだ。多種多様な話題に触れ、自分の考えや思いを書き連ねる。 ひとつ違うとこにハマってしまえば、閉鎖的にも開放的にもなり得るこの感覚は、まるで一本橋を渡るようなスリルと錯覚しそうになる。今日もそんな娯楽に勤しもう

          ともだちひゃくにんできるかな?

          「大人になっても付き合いが続く友人は中学、高校でできた友達です。」 そんな話をいつ、どこで、誰から、なぜ聞いたのか。そもそも、人から聞いたものなのか、読んでいた本の一小節だったのか。 今となってはすっかり忘れてしまった。だがその言葉だけは、学生を謳歌し随分時間が過ぎた今でも、たまに脳裏をよぎる。 正直、クラスメイトとして接した人数は数知れずだが、友人として接してくれた人数は多くない。いわゆる、”狭く深く”の人付き合いをしていた私には、片手で数えられるほどでしか友人は居なか

          ともだちひゃくにんできるかな?

          ここ数年、ずっと違和感があった。世の中の嗜好、思考、指向。カーテンの隙間を掻い潜り、眠りを邪魔する光と対峙しながら、ふとそれらへの解釈を思いつく。グレーゾーンの問題に対しても、白黒つけようと躍起になっているのでは?と。黙認、許容。まるでそれらを赦さんとばかりに。

          ここ数年、ずっと違和感があった。世の中の嗜好、思考、指向。カーテンの隙間を掻い潜り、眠りを邪魔する光と対峙しながら、ふとそれらへの解釈を思いつく。グレーゾーンの問題に対しても、白黒つけようと躍起になっているのでは?と。黙認、許容。まるでそれらを赦さんとばかりに。

          財産は流し下の収納へ

          「酔っ払いました!もう飲めません!」 参りました!と酒瓶に向かって土下座したくなるほど、アルコールに対してすっかり弱くなった。齢30を迎え、更に歳を跨ぎだした辺りから特にそう思う。別段、酒豪やザルなどと謳われるほどに強いわけでは無い。元々、居酒屋の雰囲気や、酒が入ることで朗らかになる空間に入り浸る事が好きな私にとって、酒というものはちょうどいい潤滑剤なのだ。素面ではだんまりを決める私だが、酒が入れば多少は陽気になれる。(もしくはただの変人か)いずれにしても、酒で人と仲良くな

          財産は流し下の収納へ

          今まで書いたものをざっと見返して気付いた。陰気な内容のものしか書いておらず、元来性根が明るい人種では無いものの、こうも陰性だったかと我ながら一驚した。恐らくこの言い回しも要因の一つなのだろうが、どうも変えられそうに無い。なんとまぁ、自分の性分に辟易させられる。

          今まで書いたものをざっと見返して気付いた。陰気な内容のものしか書いておらず、元来性根が明るい人種では無いものの、こうも陰性だったかと我ながら一驚した。恐らくこの言い回しも要因の一つなのだろうが、どうも変えられそうに無い。なんとまぁ、自分の性分に辟易させられる。

          誰かを想って行動すること、それが諸刃の剣のように扱いが難しいことと思い知らされた。社会人になって必要な意識って、どれだけ共感できて寄り添える事ができるかなのでは。と、秋の夜長に思いふける。

          誰かを想って行動すること、それが諸刃の剣のように扱いが難しいことと思い知らされた。社会人になって必要な意識って、どれだけ共感できて寄り添える事ができるかなのでは。と、秋の夜長に思いふける。

          癖だらけでも愛せよ

          自分の筆跡は癖だらけ。癖の塊だけで形成され、おそらく世間で謳う”美文字”とは正反対の地位を獲得していると、ここ最近になって気が付いた。 鉛筆の持ち方は小学校で、もしくは入学前に箸の持ち方と並行して練習した。という家庭も少なくはないだろう。私も箸に興味を持った時、並行してお遊び感覚でなんとなしに習ったような気もする。もしくは小学校に入ってからかも知れないが、気付けば”字を書く”という術を覚え、そのままズルズルと成長した。学生の時は、筆箱に入れていた数色のペンを駆使して、板書用

          癖だらけでも愛せよ

          言葉は時代、世代に合わせてどんどん意味が創り変えられていく。昔はそれを嫌っていた自分が居たが、今では言葉も人も共生する為にそうせざるを得ないのかと思うと、それを楽しめるようになった。言葉創り、ワクワクする響きだ。

          言葉は時代、世代に合わせてどんどん意味が創り変えられていく。昔はそれを嫌っていた自分が居たが、今では言葉も人も共生する為にそうせざるを得ないのかと思うと、それを楽しめるようになった。言葉創り、ワクワクする響きだ。

          人間五十年と信長が詠ったであろう戦国時代から、かれこれ四百年ほどが過ぎ去った。それが今では、人生百年と言われるほどまで長寿の国へと突入した。という事は、さらに先では百五十年生活などと言った世界が来るのだろうか。

          人間五十年と信長が詠ったであろう戦国時代から、かれこれ四百年ほどが過ぎ去った。それが今では、人生百年と言われるほどまで長寿の国へと突入した。という事は、さらに先では百五十年生活などと言った世界が来るのだろうか。