20歳になった燈ちゃんへ

どうやら本当に大人になってしまうらしい。


自我が芽生えた時からずっと大人になるのが怖くて、本気でネバーランドを信じてた私が、ついにネバーランドを見つける前に大人になってしまうらしい。でも、もうとっくにネバーランドを探すのはやめていたね。サンタクロースの存在よりは、長くネバーランドの存在を信じていた気がします。"ネバー"の意味を中学の英語の授業で知った時、ひどくショックを受けたのをよく覚えています。だって、「決してない」なんだもん。

誕生日に1年前の自分から手紙をもらい、1年後の自分に手紙を書いてたのは、今にも未来にも希望を抱けなかった数年前のことです。今にも未来にも希望を抱けるようになってからは全く書かなくなってしまった。というより、1年前に書いた1年後の自分の予想なんて全部全部的外れで、1年という時の長さを思い知らされてばかりだったな。だから、今回は半年後の自分に手紙を送ろうと思う。


お誕生日おめでとう。

私が小さい頃思い描いてた20歳にはなれていないでしょう。そもそも、どんな20歳を思い描いてたかなんて覚えていないけれど。唯一ひとつだけ覚えているのは、カタールのW杯を現地で観たい。でした。2022年カタールW杯、現地で観れているといいな。

小学生の頃、20歳の自分に当てた手紙にはリフティングが100回できるようになっていてください。だったような気がするけれど、それはもう小学生のうちにその5倍できるようになっていました。

中学生の頃、わたしの持ちうるコミュニティ全てに居場所を見出せず、助けを求める場所もなく、孤りで苦しすぎる思いをしていました。今になれば、全て大したことではないけれど、そのときの私にはあまりに大きな壁で何度も命を絶とうとしようとしていました。未遂にすらならない程度の。

高校生の頃、初めて勉強が大嫌いになります。家でシャーペンを握ると軽い動悸がするようになりました。自分の実力に対して背伸びをしたレベルの学校だったからしんどいこともあったけれど、それ以上に毎日周りの人から刺激を受けていました。自己肯定感を持ち合わせた人たちばかりで、自分にも自己肯定感が身につきました。しかし、みんな何かに長けている人たちばかりで、自信はなくしてしまっていたような気がします。周りの目は気にしないけれど、周りと自分を比べてしまうようになったのはこのせいでしょう。また、友達という言葉すら相応しくないように感じるくらい大切な人たちが沢山できました。

人生の絶頂を迎え、その後すぐどん底に落とされました。

それから一年が経って新しい環境に身を置くようになり、ようやく前に進み始めたような気がします。

今の私は沢山のワクワクと少しの不安で溢れています。紛れもなく未来への期待です。自分の未来に期待を抱いています。人一倍好奇心と行動力だけはあるから、今じゃ半年後の予想すらできません。

飽き性だけど、スタバのバイトは続けていて欲しいなと思う。あと、ちゃんと貯金できるようになっていてほしい。ダイエットも成功させていてほしい。

夏にでも、左腕に月のタトゥー入れてください。あ!脱毛の契約も忘れずにしてね。保護者の同意欄は空っぽのままでいいのだから。

私は残り半年のラストティーン楽しむことにしよう。


”地球はまるい”が理解できず、外遊びの時間に園庭にうつ伏せて、地面が丸みを帯びているか確認していた幼稚園生だった私が、地球のまるさを体感せずとも理解し納得してしまうくらい大人になりました。

・童心は忘れず、年輪のような歳の増やし方をしてください。
・過去を抱きしめ、今を愛し、未来に恋をして生きてください。
・逃げる時は、最高速度でいっちばん遠いとこまで。


未成年のわたしが、成人したわたしにお願いしたいことです。

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