多様性ってなんだろね

「あなたはどのような世の中を理想としていますか?」


私は、“多様性”という言葉自体が存在しなくなる世の中を理想としています。“多様性”という言葉は、2者しかなかったもの達や2者以外はないものとみなされていた事柄の中から、3つ目がでてきた時に、それをないものとしてではなく、あるものとして認知された時に発生した言葉だと考えます。最初から3つ以上あるのが当たり前だったとしたら、改まって認知する必要はなかったのではないかと思います。日本には、多種多様な苗字があります。しかし、「苗字の多様性を認めよう」という言葉を耳にしたことはありません。それは、最初からいろんな苗字があることが当たり前だったから、わざわざ改まって認めるような事ではないからだと思います。人口の多い苗字はありますが、そのマジョリティ・マイノリティで、人としてや社会的地位の優劣はありません。苗字はただ、人物のプロフィールの一つに過ぎないからです。

現代の世の中の「“多様性“を認めよう」と謳われる事柄の大きな一つに性的指向があります。このことで、いわゆるマイノリティに括られる人たちが、自分の性的指向を話すことは「カミングアウト」という行為だとされます。しかし、最初から性的指向が苗字と同じような認識のされ方だった場合、それはカミングアウトではなくただ自己紹介をしているに過ぎない行為です。現代は、性的指向のマジョリティ・マイノリティで人としてや社会的地位の優劣が決まらない世の中を理想としている動きが活発になっているように感じます。その先には、性的指向は最初からいろんな種類があるのが当たり前で、その人の苗字や血液型、誕生日などのプロフィールを話すのと同じように性的指向を話せる世の中があるのではないでしょうか。そしてそこには、わざわざ「多様性を認めよう」など謳う必要がないのだと思います。

よって私は、多様性という言葉が存在しない世の中が、現代の理想なのではないかと考えます。


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私の母は、固定観念に縛られ、独断と偏見で物事を判断し、決めつけ、批判します。「多様性を認めよう」と謳われる現代の世の中で、多様性を認めきれない側にいます。それは、安直な表現をするならば”取り残された昭和脳”なのだと思います。そんな母に、いつか、多様性という言葉自体が存在しない、多様なことが当たり前な世の中を見せてあげたい、そう思います。

きっと母の視野が時代の流れと共に広げることができなかったのは、女手一つで私たち子供3人を育てたせいだから。


p.s.
私はまだ、朝井リョウの『正欲』を読んでいません。このnoteは私が19年間生きてみて、感じた”多様性”に関する感想です。『正欲』を読んで感じたこともまた、noteに綴ろうと思います。

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