月が綺麗ですね

まんまるで大きなお月様だった。
きっと満月だったと思う。
まるで、私がこれから大好きな人に"好き"を伝えることを応援してくれているかのように思えた。

クリスマスから1ヶ月くらい経った冬の日のこと。金曜日。放課後。
家に帰ったらすぐ電話をする約束をしていた。バイトが終わり、自転車を漕ぎながら家に帰る。目の前にある月が、どう頑張っても視界に入れないのは不可能といった感じで、私を見てくるのだ。自意識過剰なんかじゃない。どんなに必死に漕いでも、漕いでも漕いでも、近づくことも遠ざかることもできない。後から知ったことだが、スーパームーンかなんかがもうすぐだったらしい。冬は乾燥で、月が綺麗に見えるらしい。

そんなこととは裏腹に振られた。不器用な恋だった。今思えば、最初から黄色のチューリップが似合う恋だった。恋に恋していただけだったのかもしれない。でも、必死に漕いでいた恋は”華のセブンティーン”を代名するには十分だったと思う。
それから私は、毎日のように月を見た。インスタの親しい友達に彼だけを入れて、ストーリーをあげたりもした。でも、時間が解決するっていうのは本当で、気付いたら未練は薄れていた。

それでも月を見ることだけは好きなままでいた。今日はどんな月が見えるだろうか、そもそも雲で隠れているかもしれない。そんなことを考えるのが毎日の楽しみで、綺麗に見えた日は、大切な友達だけに共有する。
普通はあまり気に留めない月を、毎日意識して見ている私は、いくらか変わり者なのかもしれない。何の気もなく”月が綺麗”と言ってしまう私を、夏目漱石はあまりよく思わないだろう。
でも、私は月を見ることが好きなままでいる。大切なお友達が、「今日の月綺麗だったよ」って、わざわざ連絡してきてくれるのも嬉しい。それ以上に特別な存在になった人が、私に染められて、毎日月を見るようになるのも嬉しい。永遠はないって知っているけれど、これから先たまたま月を見るたびに、私のことを思い出してしまうんだろうなって考える。いや、私のことを思い出してしまえばいいのにって思っている。死ぬまでずっと。永遠に。
地球の反対側に居たら、同じ月を見ることはできないけれど、地球の同じ側にいる限りは同じ月を見ることができる。素敵なことだと思う。私は自分が思っているよりもずっと、ロマンティストだったらしい。

あの日の月も、高校生活最後の文化祭の時に見た月も、大コケした大学受験の帰り道に見た月も、大好きな人の隣で見た月も、七里ヶ浜で見た月も、夜の公園で夢について語った日の月も、全部全部大好きな月。写真に収めようと頑張ってみるけれど、やはり肉眼で見る月には叶わない。その儚さにも、とても惹かれてしまう。
でも、満月を1番好むのはなんだか、17の時の恋を引きずっているように感じてしまう。だから私は、三日月を1番好んでいる。私は単純な人間だ。
そういえば、昨日の月は綺麗な三日月だったよ。

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