反出生主義を知って考えたこと

中学校の部活の先生が、「誰でも死にたくなることがある」といっていたことが印象に残っている。
そのとき隣にいる友達に聞いたら「あるよ」と言っていたのも衝撃的だった。「私だけじゃなかったんだ」という方の衝撃。

私は、失敗した時や落ちこんだ時にはなんとなく死にたくなることがあったけど「死にたい」という表現はあまりしっくりきていなかった。
改めて考えてみると、「死にたい」よりも「存在していたくなかった」の方が適切な表現であるような気がした。
「死にたい」は未来に対する期待が失われている状態で、「存在していたくなかった」は過去の失敗を後悔している状態である。似ているけれども少し違う。

世界にはどうやら「反出生主義」という考え方があるらしい。
単純にいうと、人生は苦痛が多いから人間は存在しない方がよいという思想。「『生まれてこなければよかった』という思想」とも言われる。

「反出生」という言葉の対象は2つある。

1つは、自分自身の反出生。つまり、自分自身が「生まれてこなければよかったのに」と思うことである。
もう1つが、新しい世代の反出生。つまり、人類は繁殖すべきではない、ということ。

ちなみに、自分自身の反出生を望むことと、自死を願うことは違う。すでに自分は生まれてしまっているわけだから、「生まれてこなければよかったのに」という願いは決して叶えられない。
自分の存在に悩みながら結局生きていくしかない。

おそらく、反出生主義に基づいて、何か積極的に行動を起こすことはほとんどないだろうと思う。その点が個人的には少し興味深い。

上記の雑誌を読んで、印象に残っている言葉がある。
「反出生主義は無反省の直観には反するかもしれないが、よくよく考えられた見解とは全く矛盾することはない」
「生まれてくる子どもが誰であっても構わない以上、生まれてきた子どもがその子どもでなければならない理由は何もないからだ」

正直にいうと、私は反出生主義に共感できる。ただこれを誰かにわかってもらったり、共有したりすることは不可能だと思う。1つの思想として理解することと、私が感じていることを理解することは全く別物だ。

「存在しなければよかった」という願いは、もはや決して叶えられることがない。だからこそ、死ぬまでの時間をどう過ごすかを考えなければならない。

私の場合は、「自分が好きなことを新たに見つけていくこと」がすごく楽しいので、そういう瞬間をたくさん経験したいと思っている。

まだ他にもいろいろ論点はあるけど、一旦これで終了!

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