インプットとアウトプットについて

※現時点の個人の見解です。(免罪符ください)

インプットは2つのタイプに分けられる。

①探究型
あるテーマについて、自分から積極的に情報を求めにいく。能動的なインプット。

②受容型
偶然の出会いから情報を得る。受動的なインプット。

(定義)インプットとは?
外部にあるものを内部に取り込むこと


同じようにアウトプットにも2つの種類がある。

(1) 拡声器型
他者に影響を与えようとするアウトプット。

(2) ハムスターの回し車型
自分による、自分のためのアウトプット。アウトプットした内容は、インプットとして自分に返ってくる。

(定義)アウトプットとは?
 内部に入っているものを外に出すこと


社会に対して価値があるのは①探究型のインプットと(1)拡声器型のアウトプットだと思う。

私がそう思う理由は、逆に、②受容型のインプットと(2)ハムスターの回し車型のアウトプットの場合を考えるとわかりやすい。

②の受容型のインプットでは、浅い知識しかつかない。②タイプのインプットで得た情報をアウトプットしようとしても、誰でも思いつくような、面白みのない内容になってしまう。

※ここで1つ注意。
「独自性」に価値を見出すのは私の価値観である。もし、「共感性」を重視するなら、②タイプのインプットした内容のアウトプットにこそ価値がある、ということになるかもしれない。

ただ、そういうアウトプットも自分にとっては価値があるかもしれない。自分の日記を読み返すのが面白かったりするように、未来の自分は今の自分のアウトプットを楽しんでくれるかもしれない。そういった結局自分に返ってくるようなアウトプットを(2)ハムスターの回し車型としてみた。

※ここでまた注意。
なぜ、受容型のインプットで得た情報をアウトプットしたものが、未来の自分には面白いのか?もしかしたら「独自性」というよりむしろ「差異」に価値があるのかもしれない。過去と現在の差異、他人と自分の差異(=独自性?)。もっというと、時間軸の違う事象の差異は「変化量」のこと。

さて、ここで「社会に対して価値がある」ということについて。私はどんなものを「社会に対して価値がある」と思っているんだろう?改めて言語化してみる。注意の内容を踏まえると、「社会を変化させるもの」のことを言っていたのだと思う。

そして②受容型のインプット、(2)ハムスターの回し車型のアウトプットは社会を変化させることがほとんどない。

それに対して、まず①探究型のインプットでは、特定の領域について深い知識がつく。探究型のインプットをするには時間がかかるので、やらない人も多い。つまり、やった人とやらない人の間に差異が生まれる。

そして、(2)拡声器型のアウトプットを行なって、自分が得た知識を他者に伝えようとすれば、それは少しずつ社会に変化をもたらすかもしれない。

というわけで、冒頭の結論に辿り着いた。


正直なところ、インプットとアウトプットは必ずどちらかのタイプに分類される、ということではなくて、どんなインプット・アウトプットも両方のタイプの要素をもっていると思う。どちらかといえばこっちかな〜みたいな感じ。

さらに言えば、社会に対して価値があるから良い、ということでもない。この考え方を突き詰めたら、圧倒的な差異を有する数人が世界を独占する状態が望ましい、みたいなことになるよね。あとは、ナンバーワン・オンリーワンでないと意味がないとか、そういう話になる。それってとっても生きづらいから、そんなことは言いたくない。(昔はわりとそういう考えで生きてたので、他人に冷たかったし、自分もつらかった)

自分の心と体は自分で守れるように、ハッピーに生きられるように、うまくやってこう。

私は、②受容型のインプットかつ(2)ハムスターの回し車型アウトプットが好きです、楽しいです。
でもそれで悩む部分もあったのでnoteにしてみた。①(1)パターンも増やしていけたらいいな〜

また来週〜


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