障害児を施設に預けるのは風当たりが強そうだなぁ…
こんにちは、初老の精神障害者(鬱、複雑性PTSD)です。
わたしはもし子供を授かって、その子が障害児だった場合、施設に無料で丸投げしたいです。
殺すのも可愛そうだし。
自分では育てられないし。
施設の力を借りるしかない。
面会だけはなんとか毎日行きたいです。
…みたいな考え方って、だめなんだろうか?
飽くまでも私達の子であるが、育てることは出来ない、しかし完全に手放す気もない、面会はしたい。
無理やり育てようとすれば精神病の悪化のおそれ、希死念慮が強まれば心中コースも。
なのに、なんか、「生んだら絶対に育てなければならない」みたいな圧が強くないかこの国…。あと、生む前に障害児とわかったら堕ろすのも「殺人だー!」みたいな人も少なくなさそうだし、
とにかく産む側の心理的な負担がでかすぎやしないか?
もうさ、施設で子供預かってくれる人の待遇を公務員並みにして、沢山施設を作って、ってやったほうが、子供の数増えるだろ…。
なんかもっと頭柔かく、協力し合いながら生きようよー。
子供を無料で国の施設に預けられるなら、殺さなくて済む子供が増えるし、子供を育てる仕事の雇用が増える、子ども自身も生きてくれることにより必ず消費するから必ず誰かの所得に結びつく、なんか良いスパイラルじゃないっすか?
で、障害児が生きやすい社会って、健常者も生きやすい社会じゃないですかね。
そりゃ、ある程度の棲み分けはいるでしょうけど。全体的にはそれぞれが平和に生きてる、みたいな世の中がいいです。
棲み分けがいるというのは、例えば私は鬱と複雑性PTSDがあり、「健常者の中で健常者と同じように頑張れ」は絶対ムリです…。
また、「じゃあ頑張らなくていいから健常者のなかにいろ」、というのも割ときついです。
一人で、部屋にじっとしていたいです。それが私にとっては平和です。
頑張れない人がホイホイ助けられる社会が良いなあ。そしてまた自分も余裕があるときは誰かを助けたいし。
それにしても、支援の形は何でも良いからとにかく支援がほしいなあ…。
たとえばさ、国家資格とかもってるシッターさんが何人も専属になってくれて、うちにいてくれて、子供のことなんでも相談できるとかさ〜。
いろんな形がやろうと思えば実現できそうなんだがなあ…。日本は努力教がはびこっていそうだね。
でも追い詰めれば追い詰めるほど、遺棄とか心中が無くならないと思うから、やっぱり(国が一丸となって)助けてなんぼなんだよなあ〜。
という、頑張れない私からの一意見でした。
どう思う〜?