「エモい」と言う必要があるのか

と常々思う。
自分でも正しい意味や用法を理解していないため、とりあえずWikipediaで調べたところ、以下の通りであった。

 エモいは、英語の「emotional(エモーショナル)」を由来とした、「感情が動かされた状態」[1]、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」[2]などを意味する日本のスラング(俗語)、および若者言葉である。
 感情が揺さぶられた時や、気持ちをストレートに表現できない時[1]、「哀愁を帯びた様」[3]、「趣がある」[4]「グッとくる」などに用いられる。

Wikipedia

おおよそ自分が思っているものと同じで安心した。これが全く違っていたら、ここから先の文章は書くことができない。

さて、この「エモい」を使用する人々は自分のまわりにも数多くおり、使用場面としては、
・音楽を聴いてるとき
・綺麗な景色を見たとき
が多いように感じる。インスタグラムのストーリーには、ライブ後の風景やきれいな景色と共に、「エモい」という文面が掲載されていることがある。

既に高い市民権を得た言葉であるため、わざわざ使うなという必要もないかもしれないが、そもそも、感情が動かされた際に何らかの言語化を行う必要があるのだろうか。北島康介さんが「なんも言えねえ」と述べたように、本当に感情が揺り動かされた時は、言葉が出ないのが普通である。しかしながら、それを無理矢理に「エモい」に代表させるのは違うと思うし、「エモい」と言っている時点で、その感動はそこまで深いものではない気がする。
おそらく、自分の感情を共有する、あるいは意思疎通の手段として「エモい」を使うのだと思うが、自分の中では何かもやっとしたものがある。

まあ、これも自分のわがままと言うか、斜に構えた態度が原因と言うだけであるが、自分は感情を他人に共有するときは、単純に「エモい」という言葉に走らず、なるべく、ここがどんな風に良い、というように詳細を描写するようにしている。しかし、結局はそんなことを思っている時点で、自分も本当に心を動かされてはいないことを証明してしまうから、この「エモい」に対する批判も陳腐なものになってしまうのだが。

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