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最も「深く」考えた人が判断する

今日はこのツイートを見て思ったことをつらつらと書きます。

良い話だなぁと思いつつ、ふと疑問が。
「最も多く考えた人」と「最も徹底的に考えた人」がここでは一緒のように語られているが、そうとは限らないのでは…?

ということで、僕は「最も深く考えた人が判断する」について書きたい。

まずは最も「深く」について。
「多く」とは時間を多くかけた、手間暇をかけたと理解した。
確かに真理に見えるようにも聞こえるが、そこまで時間を費やさなくても正しいことを言う人に何度も会ってきた。その人たちは何を持っていたか。

それは経験である。経験は時間を費やして得た知恵である。この経験はかけた時間を凌駕するほどのものになることもある。

そう考えると、「多く」ではなく「深く」考えられているかどうか、それを問うことが良いのでは、と考える。

経験がある人は、経験がない人よりも「深く」考えられているだろう。
一方で、その経験を凌駕するほどの勉強や学習、調査など「多く」することでより「深く」到達することだってある。

この「深さ」がないチームは、しばしばチャレンジする前に失敗確度が高くなる。チャレンジの精度が低くなる。

そして「判断する」について。
深く考えた人が「正しい」とは限らない。が、「判断する」決定権を持って良いと思う。それだけ誰よりも確からしさを追求しているのであれば、その人が決定権を持つのは当然だろう。

時に「情熱」で判断をしてしまうこともあるだろうが、それは間違っている気がする。「情熱」は「深さ」で判断すべきであり、プレゼンテーションで示すものではない。

最も深く考えた人が判断するー。この組織こそ健全な状態だと思う。
その時に判断した内容が間違っていようと、それはその人のせいではない。全員のせいだ。その人以上に考えた人がいなかったからだ。
(あるいは、最も深く考えた人のレベルを上げられていないマネージャーの責任。)

ただし、最も深く考えていない人に判断を任せたら、その人に任せたマネージャーの責任である。その任命は間違いだし、その責任は重い。

チームに深く考えることを浸透させ、正しい判断が出来るチームにするよう、まずはマネージャーが深く考られている状態から始めなけばいけない。そしてメンバーに問う。「あなたは私よりも深く考えられていますか?」

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