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上手くいかないだろうという仮説を立てるとその仮説の正しさを願ってしまう

たまにありませんか?「あのプロダクトは上手くいかなさそう」「あのサッカーチームは負けそう」「自分のチーム(部署)はこのままだと上手くいかない」「あの人の努力は無駄だ」…そう思ったり、口に出してしまうこと。

好きなものにも謙遜なのか、卑屈になっているのか「どうせ…」みたいな言葉を出してしまうこともある。

最近気づいたのは、この言葉の危険性。

人はマイナスな仮説を立てると、マイナスを願うようになり、そのマイナスになることに対して「ほれ見たことか」とその正しさを立証したくなってしまう。本来自分にとっても仲間にとっても、プラスの結果を出すことの方が幸せにも関わらず、自分の仮説を正当化するために、マイナスを願ってしまう。

ああ、自分はなんて小さいんだと思いつつも、心理的にこの仮説の正当化をしないようにすることは出来ないかもしれない。

今やれることは、マイナスな仮説は立証をしようとするのではなく、それが立証される前にその前提を崩しにかかること。
これはうまくいかないだろう、その仮説を持ってうまくいかないことを立証しよう、なんて思わないように、立証に目をむけず、立証される前に崩しに行く。立証されたら、気づいていたにも関わらずそうなってしまったことを悔やむ。そういう考えを持ちたい。

その仮説の立証、独りよがりじゃない?誰のための立証?と自分に問いかけよう。

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