拝啓、ちょいワル予備校講師 ー霧を晴らす古文講義

 「△△の勉強が苦手だったのですが、〇〇先生に出会って変わりました。先生の授業はとても分かりやすく、飲み込みの悪い私にも親身に接してくれたんです。先生に習ったおかげで、△△が得意になるだけでなく、勉強自体も好きになれました。だから私も、〇〇先生のような教師になりたいです」

 この一節は教育業界でテンプレのように使える「志望動機」である。かく言う私も、塾業界の片隅で働きながら、ある恩師の背中を追い続けている。大手予備校での浪人時代にお世話になった古文の先生だ。

 当時の私にとって、古文は「スランプ」に陥った科目だった。歴史科目が得意だから古文も読めるだろうと思い込み、単語・文法の習得や古文常識の学習を熱心にしていなかった。当然、受験を意識し始めた頃から古文との相性がすこぶる悪くなった。不機嫌な浪人生だった私は古文を睨み、予備校の授業にもあまり期待はしていなかった。
 先生の第一印象は「なんだこの人」だった。浅黒いクセのある顔立ち、Vネックの白シャツに、カジュアルなベルトを通したジーンズ。一言で表すと「ちょいワルおやじ」。革ジャンとサングラスをまとってオートバイをふかしていたとしても、あまり驚かないだろう。ヒッピー文化を平成の日本に引きずったようなそのいでたちは、およそ「をかし」な古文の世界とは程遠いように見えた。
 教室には横幅の広い黒板があったが、先生はたまにしか黒板を使わなかった。重要な単語の意味や文法規則を取り上げ、ポイントだけを端的に板書する。古文常識について解説する際は、キーワードに簡単な図解を添える。授業は基本的に口頭解説で進む。話し方は常に雑談調で、雑談や例え話をするときに「でなんっっか、」とワンテンポ挟むのが口ぐせだった。
 先生は授業でよく雑談をしてくれた。古文の世界と現代の生活に共通する文化や心情。他の講師や校舎スタッフとのくだらないやりとり。ちょっとした「社会を生き抜く知恵」。古文の世界と現代の実生活を気まぐれに行き来する、漫談のような講義時間。遠い昔の文章と今の教室を、先生がさりげなく架橋しているようだった。

 先生の雑談で今でも鮮明に覚えているのは、「言語の線状性」に関する話だ。テキストの読解問題を解説するさなか、「これは言語学の話なんだけど」と前置きし、黒板に「机の上にリンゴとバナナがある」と書く。そしてその傍に、机とその上に乗ったリンゴとバナナの絵を描く。
 絵で描けば、「机」「リンゴ」「バナナ」という三者の存在、そして三者相互の関係性を一度に表すことができる。しかし言語で表す場合、同時に複数の内容を表現することはできずない。一つひとつを並べていくほかなく、メッセージを構成する各要素の間には前後関係が生じる。言語は前から後ろに向かって情報を重ねていく「線」のような性質をもつのだという。絵の隣に「線状性」と文字が加えられた。だから英語も前から読んでいくんだよ、と他教科のアドバイスを添えることも忘れない。先生の眼差しと口調は、いつになく真面目だった。
 衝撃だった。古文の授業で、言語学の話。「伝える」仕事の専門性がそこに凝縮されていた。
 ある教科に精通することは、その教科に関する知識をひたすら掘り下げていくことだとばかり思っていた。古文でいえば、単語や文法の成り立ちや用例、問題文では扱われない原典の記述、「古文常識」と呼ばれる当時の文化や政治制度、そういった事柄について、あたかも歩く百科事典かのように知識をつけることだと思い込んでいた。
 しかし、そうではない専門性もある。教壇に立つ、すなわち「伝える」を生業にする場合、単に膨大な知識を披露するだけでは伝わらない。
 教科学習で扱う内容は、高度で抽象的なものになるにつれ、実生活とのつながりは薄まり、身近に感じにくくなる。ゆえに学習者、座って講義を聞く側はどうしても受け身になりがちだ。扱われている内容はよく分からない。しかし試験をパスすることは「将来のためになる」らしい。ならば、教壇に立っているエライ人は、試験に出そうなことを端的に伝えてくれればいい。「将来使わない」ような「深い」話はなるべくスルーし、効率的に要点を押さえたい。そんな学習者に科目の枠内で専門知を垂れ流しても、右から左へと受け流されてしまう。
 「暗記することが多い」「将来役に立たない」「現代語訳を読めばいい」と忌み嫌われがちな古文ならなおさらである。ならば古文だけを掘り下げることは諦め、他の教科や身近な事柄をツールにしてでも、古文を理解してもらおう。先生の中にはそんな「割り切り」があったのではないか、と勝手な「深読み」をしていた。

 重要な単語・文法事項、読解の鍵となる古文常識について、先生が図解を交えながら端的に板書する。私はそれを手元のノートに写すことで、何度でも復習できる。知識がつくと、読解における解像度も上がる。省略されている主語、セリフと地の文の区切れ目、多義語の意味選び。色あせていた絵巻が鮮やかに蘇るかのように「読める」実感がわいた。「読める」ことが自信になり、知識をつけることも読解問題を解くことも楽しくなった。
 ちょいワルな外見に似合わず、先生の朝は早かった。予備校の1時限目(9:00)が始まる30分前には講師室に待機している。授業前、余裕を持って登校した生徒だけが、先生から直接答案の返却とフィードバックを受けられる。他の曜日は9時ギリギリだったが、古文がある曜日だけは意地でも早めに登校するようになった。
 120人程度いる大きなクラスだったが、何度も「朝通い」をするうちに、先生が顔を覚えてくれるようになった。ある時「君、名字なんて読むの」と聞かれた。大所帯のクラスでは、講師と生徒のコミュニケーションは皆無に等しい。そのなかで「認知」されたのだ。私は嬉々として、人生で幾度も誤読された苗字の読みを答えていた。答案を毎回欠かさず提出し、添削のフィードバックを受けながら先生と短い会話をするのを毎週の楽しみとするようになった。
 今思えばそれは「信者」と類される行動だったのかもしれない。クラスメートの間で先生の評判は悪く、「朝通い」を終えてウキウキしていると呆れた反応をされたこともあった。しかし、先生に「認知」されて喜ぶ古文オタになったからこそ「スランプ」から脱することができたのだ。
 卒塾時のアンケートには一人の講師を選んでメッセージを綴る欄があったため、枠が許す限り感謝の言葉を並べた。先生の目に届いているかは、知る由もない。

 10年近く経った今、小学5年生から高校3年生まで、幅広い学年の英語学習に関わらせてもらっている。「勉強が苦手な子に寄り添う」という授業者像は、よく望まれかつ目指されるものだが、そう簡単に実現できるものではない。結局は、学習者本人が自ら手を動かし頭を動かすかどうかにかかっている。しかし、本人の頑張りを成果に結びつけるために、勉強法の提案や励ましの言葉といった「きっかけ」を与えることはできる。
 授業者の専門性は、高尚な知識を振りかざすことではなく、学習者が知を日常生活に結びつけて考えられるようにすることにある。そう教えてくれた殿上人の背中を追いながら、私は今日も白板の前に立つ。

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