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学習支援者日記

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一人の学徒・実践者として、考えていることを綴ります。
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#教育

花のない桜を、見上げたことはあるか。

 3月某日、午前8時30分。塾としては早い時間帯に、中3担当講師陣が校舎に待機する。この日は…

学び直して、学ばされ -歴史講座における「流れ」と「知識」の葛藤

 怒涛の8ヶ月は、何気ない雑談から始まった。  1年ほど前、とあるオンラインイベントで簡…

"bring-brung-brungen" ーふぞろいなものを学ぶということ

He often breaks a vase. 「彼はよく花瓶を壊す。」 He broke the vase. 「彼はその花瓶を壊…

教科の生徒に推しを習う ー学び合いのラポール形成

「とにかく、本っ当に名作なんです。タイトルの意味だけじゃなくて、ちゃんと中身を調べてきて…

10年越しの「潜在的カリキュラム」 ー絶対零度の日本史講義

 「△△の勉強が苦手だったのですが、〇〇先生に出会って変わりました。先生の授業はとても分…

向学心の掛け算、支援者の無力 ー春を目指した冬のマラソン

 想像に難くないだろうが、新年が明けてから桜前線が北上し始める頃までの期間は、塾業界にと…

教育・子ども観の「コペルニクス的転回」 ー〈子ども支援学〉との出会い

 「大人スタッフの皆さんにお願いがあります。ケガをするかもしれない、などの重大な危険がない限り、子どもたちには一切の指示や命令をしないでください。」  私は一瞬耳を疑った。そんなこと、できるはずがない。子どもは田んぼの脇に生えている花や草の名前を知らないだろうし、アスレチックに設置されている遊具の使い方だって分からないだろう。混乱気味の私に、ボランティア団体のスタッフは笑顔でたたみかける。  「だまされたと思って、この約束を守ってみてください。子どもたちは、自分で遊び方を見つ