見出し画像

#ずいずい随筆⑬:偽物のメシア

 メサイア・コンプレックス、という言葉がある。
  日本語では「救世主妄想」などと呼ばれることもあるらしい。まるで自らが「救世主(メシア)」になったかのように、「自分自身が世界を救うのだ」という妄想をふくらませる。しかし、その裏には自分自身に対する劣等感や自己肯定感の低さがあり、自分自身が満たされないのを埋めるために「他人を救うことができる自分は素晴らしい」という思いに支配されているのだという。

 メサイア・コンプレックスは医療従事者などが持つことが多いとされている。人を援助する、という職業につくこと自体、その影に自身への劣等感が動機というパターンがある。
 仮に、そのような自己肯定感の低さがなかったとしても、病院という場では、僕らが普段の生活の中で見てこなかった社会の弱い部分が凝縮して目の前に広がる、ということが多々ある。
 息も絶え絶えに運ばれてくる、水も飲めなかった生活困窮者。
 家庭内の暴力によって被害を受けた子供が、親をかばう姿。
 患者を食い物にする詐欺師に騙されボロボロになったがん患者・・・。

 こういった光景を毎日のように目の当たりにして、「この社会は間違っている。僕らが世界を『正しい』方向に導かなければ」と考える医療者が一定数あらわれることは、必然ともいえるだろう。

 また、SNS上にも多くの「救世主」が日々活躍している。社会は間違っている、正しい方向に変えなければ、世界をもっと良くしよう・・・などなど。それは医療分野に限らず、あらゆるテーマにおいて、誰かが誰かを糾弾している。

社会の中に「敵」を求めていた

 僕も以前は、この「救世主妄想」にとらわれていた時期があったように思う。昔、僕がたずさわっている緩和ケアの分野においては、がんを抱えて余命いくばくもない患者さんたちが、がん治療をしていた病院から見捨てられ、毎日のように僕らの病院へ送られてきていた。
 患者さんや家族は悔し涙を流し、前医への恨みを口にし、そして救急車で運ばれてきて「初めまして」と言葉を交わして1時間後に亡くなるという患者さんもまれではなかった。
 そんな毎日を過ごす中で、僕にとってがん治療とそれを行っている病院たちは明確に「敵」になっていた。こんなことが横行している社会はおかしい、と怒りにかられていた。その当時は、その感情は確かに正義による正当な炎だった。

 しかし、社会がよくなってがん治療と緩和ケアの関係も改善されてくると、僕は次の「敵」を社会の中に求めるようになっていたように思う。それはニセ医療だったり、貧困だったり、孤独だったり。それらで苦しめられている人がいるのは事実だし、改善したほうがいいものであることも確かだろう。でもそれを「自分が何とかしてやろう」と考えたり、それが反転して「どうして自分がこんなにしているのに社会の方が変わらないのか!」と、世界を呪うようになってくると、ああ自分は偽物のメシアだったんだなということに気づく。

 そして世界には僕以外にも自称メシアにあふれている。

画像2

世界を信じられるか

 自称メシアの僕らは、結局のところ世界を信じられていないのだと思う。
 世界を信じられていないのに、世界を救おうなんて矛盾した話だ。自分自身のことすら信じられていないのに。

 世界を信じるってどういうことなんだろう。
 そもそも「世界」ってなんなんだろう。

 僕は、世界は人の意志と営為の集合体って、今はとらえている。その意志と営為っていうのはもう何千年も昔からの塊で、ひとりひとりがそれを少しずつ小突きながら、方向をちょっとずつ動かしている。「ちょっとずつ小突く」のには善も悪もなくて、それそのものが人間なのだから、僕らもまたちょっとずつ小突いていけばいいんだと思う。
 だから、僕は僕なりの「内なる善」をこれからも営為として行っていくけれども、それはそれ。社会に暮らす一人一人の意志は、誰かの営為に影響されるでもされないも自由で、その結果として転がっていく方向が僕らの「世界」である。その転がっていく方向を信じるってことが、世界を信じるってことなんじゃないだろうか。それが「内なる善」とは異なる方向だったとしても。

 世界を信じる。それは「自称メシア」から降りるということとイコールだ。自分自身は大した人間ではないが、塊を小突けないほどでもない。
 世界を変えるんじゃない、世界は変わるんだよ、って捉え方をしていった方が、少なくとも僕は楽に生きられる。

※ここからの有料部分は、無料部分を書いていての「ちょっとした葛藤」について。マガジン『コトバとコミュニティの実験場』を定期購読頂いている方はそのままお進みください。

ここから先は

596字 / 1画像

¥ 150

スキやフォローをしてくれた方には、僕の好きなおスシで返します。 漢字のネタが出たらアタリです。きっといいことあります。 また、いただいたサポートは全て暮らしの保健室や社会的処方研究所の運営資金となります。 よろしくお願いします。