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耳が聴こえなくなった方へ、緩和ケアは何ができるか

 緩和ケアのキモは、コミュニケーションである。

 もちろん、苦痛を緩和するためのモルヒネとか、落ち着いて過ごせるための環境とか、支えてくれる家族・友人の存在とか、そういうものも大事ではある。
 ただ、その全てにおいて「私はどのように苦しいのか」を伝えられる、そしてその言葉を受けて「あなたの苦しさをこのようにしていきましょう」と答えられる、そのコミュニケーションこそが基盤となるのだ。

 しかし、がんという病においては往々にしてそのコミュニケーションの手段が奪われることがある。
 手術やがんの進行で声帯に障害が及べば、声を出せなくなる。脳や神経が障害されることで目や耳が使えなくなる。そして筆談をしようにも、衰弱によって手の動きが弱くなればそれすらも不自由になる。
 もちろん、僕ら緩和ケアは、そういったコミュニケーション障害による苦痛も緩和していこうとする。代替手段を講じたり、苦痛を他に置き換えたりすることで対応することはできる。

 ただ、このコミュニケーション障害の中で、僕が最も苦手とするのは「耳が聞こえなくなること」である。先天性または長年の聴覚障害の場合は、その方自身が既にその聴力を補完するものを持っていることが多いため、それほど問題にならないのだが、上記の通り、がんの進行によって急に聴力を失ってしまった場合には、本人も家族も、そして医療者側も右往左往することになる。

50代 男性
(※事例はフィクションです。また文中の「今年」とは2022年ではありません)
 川崎市在住。3年前、会社の健診にて貧血を指摘され、近医での精査にて膵癌(StageIIIB)と診断された。都内の大学病院にて手術を行い、術後補助療法も受けたが、昨年に肺転移が発見され再発と診断された。同大学病院にて全身化学療法を受けたものの、今年に入り脚の力が徐々に衰え、杖歩行となった。都内まで通院困難であるため、当院へ転院しての化学療法継続および緩和ケアを受けることを希望され来院された。
 当院初診時、妻に車椅子を押されて来院。杖を使えば室内を歩行することは可能で麻痺はなし。またこの半年ほどで聴力が徐々に低下し、補聴器も使い始めたがかなりの難聴になってきている。
 血液検査は特記すべき異常なし。肺転移は両側に2~3mmが散在するが胸水貯留はなし(3か月前のCTと比較しても病状悪化はしていなかった)。またがんセンターで撮影した脳CTでも特記すべき異常は無く、当院耳鼻科で精査をお願いしたいとの手紙が同封されていた。

 紹介状の内容と、初診時の様子からは、僕から見れば明らかにがんの病状が悪化しているとしか思えなかったのだが、本人も妻も前の主治医からそういった話は一切聞いていなかった。
「市内でIT系の小さい会社に勤めてましてね。今はこんなで、ずっと休んで迷惑かけてしまっているんです。早く体調を元に戻して、職場に戻りたいですね」
 と、彼は朗らかに話していた。

 僕はその楽観的な様子に軽く苦笑いしながらも、
「確かに、画像上はこれまでの抗がん剤が効かなくなったという証拠はない・・・。ただやはり、耳が聞こえなくなってきているのは聴神経に何らかの異常があるのだろうし、MRIも精査した方がいいのではないか・・・」
 などと考えた。
 まずは、前医から依頼があった通り、抗がん剤治療を継続することの計画を立て、同時に耳鼻科医に依頼しMRIで精査をする予定を組んでいった。

 しかし、この初診から1か月後、
「今朝から、夫の耳が全く聞こえなくなってしまったんです」
 と、妻から緊急で電話が入ったのだ。
 すぐに本人と妻には病院に来てもらい、診察したところ、確かに何を話しかけても本人は全く聞こえていない様子だった。また、聴力だけではなく下肢の麻痺も以前より進行し、今日は立つこともできていなかった。
 何が起こったのか。
 耳鼻科からオーダーされた脳MRIは1週間前に撮影されていた。その内容を確認する。
「・・・髄膜播種か」
 髄膜播種とは、がんの細胞が血流にのって脳神経周囲にある「髄液」内に散らばり、そのことで様々な神経障害を起こす病態である。細胞レベルでの浸潤のため、脳CTでは映らないことも多く、MRIでようやく確認できることも多い。

 本人には、即日入院してもらった。
 そして妻には、MRIで髄膜播種が確認されたこと、これまでの神経症状はこの播種が原因であったこと、神経を守るための治療をしていくが、髄膜播種は進行が早く神経症状の改善はほぼ期待できない、そればかりか残されている時間すら、週~短い月の単位であろうことを伝えた。
 ここで問題となったのは、この事実を本人にどのように伝えていくかだ。
 入院時に
「先生、私に何が起きているんですか」
「また耳が聴こえるようになりますか」
 と、本人は必死に訴えていた。僕も、その声に応え、病状を文章にして本人に読んでもらおうかとも考えた。
 しかし妻から、
「本人に、今のことを文字にして読ませるんですか。それって酷なことじゃないでしょうか」
 と言われ、僕は黙ってしまった。
 確かに、これまで悪い話を一切聞かされてこなかった本人にとって、ここまでの状況をいきなり伝えるのはつらすぎる。さらにそれを長い文章にまとめて、本人の目の前に「はい、読んで」と放り投げるのは、ある意味暴力なのではないかと感じたのは事実だ。
 もちろん、iPadとか画用紙とかに文章を細かく切って書いて、テレビのADよろしく見せて、引っ込めて、を繰り返せばいいかというと、そういう問題でもない気がする。
 話し言葉は、声のトーンや婉曲な言い回し、また言い淀みが適当に入ることで、ショッキングな話もマイルドに緩めて話せる力がある。しかし書き言葉で、病状を説明するのに婉曲表現を使えないではないか。

 僕は、どうすればよかったのだろうか。

この先はマガジン購読者限定となります。ある勉強会でこのテーマについて相談したところ、参加していた看護師から「このようにしてみたら良かったのではないですか」と提案を頂いたのだった。

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