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5-2:安楽死に対峙する、緩和ケアへの信頼と不信~幡野広志と会う(中編)

(前編から続く)

幡野広志と吉田ユカ

「吉田ユカさんとは、お会いになったんですよね」
 どうでした、印象は。と、聞いたところで幡野は、
「ええ、お綺麗な方ですよね」
 と屈託なく笑う。こういうことを言ってもまったく嫌らしくないところが幡野の、人としての魅力なんだろう。

「ユカさんががんになって、僕のことを知って、どうしても会いたいって話だったんだけど、それだけでは会えませんからね。そしたら、撮影を依頼されたんですよ。撮影だったら仕事として会えるし、彼女と旦那さんとの写真も残せるし。その会う前までにメールとかのやり取りはしたんですけどね、すごい長文の。思慮深くて、伝えたいことがいっぱいあったんでしょうね。ユカさんと初めて会ったとき、安楽死のこととか、ご家族のこととか、普通は初対面では話さないようなこともたくさん聞きましたね。話したかったんでしょうね。スイスに申請を出して断られたという話も。あれは僕もショックだった。断られるんだ!って思いました」
 幡野は顎髭を撫でながら、少し悲痛な顔をする。僕もね、あれは驚きました、と答えると幡野は「安楽死の話ね」と前置きして話をつづけた。

「彼女の話を聞いていて、僕はすごくよく理解できるってことと、日本人が安楽死を選ぶ最大の理由ってここにあるんだなって確信を感じました。
 僕が、がんの方とお会いしていて、思いのほか男性でも女性でも、自分の人生を自分で決められない人っているなって思ったんですね。どうしていいかわからないってひともたくさんいて、そういう方から相談も来るんですけど、不思議なことにそういう人ほど他人の人生は決められることが多いんです。
 自分の人生は決められないのに、他人の人生を決めるのがうまくて、平たく言えば毒親気質の人だったりするんですけど。要は押し付けてしまう人がたくさんいるんですね。それは、患者と家族の関係性でかなりあるなと思っていて、そういう人から身を守るためにも安楽死は必要なんだと思っているんですよ。『家族の意思』を尊重しちゃうでしょ、医療者っていうのは」

 幡野が常々主張しているところの核心はここにある。
 医療者と、家族、そして患者の目指しているゴールが異なる。そして医療者が自分のポリシーや家族の意向を尊重してしまう今の日本では、吉田ユカの言う通り「安心して死ねる場所がない」ということなのだ。
「日本においては、自分の意思を尊重して保つ方法がない。それによって、望まない亡くなり方をしている人がいる。だから僕は、安楽死制度を作って患者自らが選んで死ぬことができるようにする…… もしくは患者の意志に反した治療を求めた家族や、それに賛同した医師や病院を罰するようにしないとダメだと思います。法律的に。
 飲酒運転のように、店に運転して来ていることがわかっているのに、お酒を提供するとか、その車に同乗するとかで罰せられるようになったじゃないですか。あれで飲酒運転がかなり減ったように、法律を変えれば、医療者や家族も変わると思う。どっちにしても、もう平成も終わって令和になったこの先進国で、患者の望まない死に方が延々と続いているという現実が信じられない」
 幡野はなおも続ける。
「代替療法に関することも、時々、芸能人のステマみたいのが話題になりますけど、患者であれを見て『芸能人がやっているのを見たので来ました』っていう人はほとんどいないと思うんですよ。あれを誰から勧められるかと言われたら圧倒的に家族や親せきなんですよ。そして一番勧めてきて、一番断りづらいのも家族や親せき。言わば鬼に金棒の状態で来るわけですよ。
 だから、患者からしてみたら、芸能人のステマなんかよりも家族のほうがよっぽど鬼なわけ。自分の家族が病気になってしまった、自分が悲しみたくない、それで押し付けてしまう。そういう家族がいる以上、身を守るために安楽死が欲しいわけです。もしくは、さっき言った罰則。どちらかがないと、患者は守られないなと思いました」

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緩和ケアを信頼できない理由

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