死にゆく人はさみしいのか?~彼岸と此岸、そして3種類の死

2020年に行われた「死にゆく人はさみしいのか?」をテーマに行われた講演(事前収録)について、主催側の許可を頂いたので公開します。
【抄録】
「死にゆく人はさみしいのか」という問いは、彼岸に渡りゆくものと此岸に遺されるものの視点のズレを思わせる。死にゆくものは「根源的な」意味で言えば、さみしい。その視点のズレがまた、彼のさみしさを助長する。
ただし、さみしさは悪なのか、という別の問いを立てると、その見方はまた大きく変わる。さみしさは悪いもので、だから取り除く必要があるものだろうか。それは大いに「医師的な」目線であろう。そもそも、取り除けるものなのだろうか、否か。
さみしいとは、喪失に対する表現のひとつである。彼岸へは、全てを喪ってひとりで向かわなければならない。では此岸に遺される私たちは、彼のためにできることは何もないのか。さみしさを取り除く、ということに注力する以外に。私は「3種類の死」という考えを用いて、私たちにできることを考えたい。さみしさを無くすという方へ向かわなくても、私たちにできることはあるのではないだろうか。

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