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エピローグ(Kushiro-side)

(エピローグ:Kawasaki-sideから続く)

釧路の海に

 海の向こうには死者の国がある、という信仰があるのはどの地域のことだっただろうか。
 沖縄だったような気がするし、山陰でもそんな話を聞いたことがある。
 でもいま北海道の、青よりももっと深い青の海を見つめて、僕はこの向こうにも誰かがいるような気がしていた。

 Yくん、そして吉田ユカと別れた夏から半年が過ぎ、僕は20年ぶりの同窓会に出るために実家に戻ってきていた。
 実家がある釧路に、冬に戻るのは何年ぶりだろう。
 冴える風と氷に閉ざされた僕の故郷は、冬に戻るにはちょっと厳しすぎるのだ。朝日の中を氷晶が舞う日常に、子どもの頃の僕は、吐く息すら凍って落ちてしまうんじゃないかと感じていた。もっとも、夏に帰っても霧に閉ざされているこの町は、決して心躍る故郷とは言えないのだけど。
 でも冬の海は好きだった。
 子どものころ、何か嫌なことがあったり、ひとりになりたい時には海に出て行って、固く凍った砂浜でぼーっとしていることがよくあった。釧路は、先人たちが海と向き合いながら生活をしてきた町。だからなのか、僕も自然と海にいり浸るようになった。そんなときの海は、鈍色に重く、時に狂ったように岩を打ちつける雄々しい海だった。でもその荒々しさも、子どもの自分からは、強く、そして美しかった。
 ある時は10分くらい、時には1時間以上も浜にたたずんでいた。海と対話していた、と言うと格好いいけど。でも、唸るような海の声を聞きながら、自分の心と向き合っていると、自然と落ち着いていったことは確かだ。夕陽が落ちてくると、海に向かって手を合わせた。帰るのがいつも名残惜しかった。
 いま大人になって、改めてこの海に来てみると、僕が何に対して手を合わせてきたのかがわかるような気がする。

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 Yくんの奥さんと会えたのは、彼が亡くなってから3か月後のことだった。
 僕が暮らしの保健室にいる日を及川に問い合わせて、都合を合わせて来たらしい。保健室に現れた奥さんの表情は、明らかに疲れていた。眠れていないのだろうか、と心配になる。
「彼はどうして死んだのでしょうか」
 及川がコーヒーの準備をするのを待たず、奥さんは話し始めた。
「親族の方々が『あなたがついていながら、どういうことなの……』、『何かあったんじゃないの』、『どうしてすぐに病院に連れて行かなかったの』って、私を責めるんです。私も、正直びっくりしました。人って、こんなにあっけなく亡くなってしまうものなのかなって」
 はじめ僕は、「医療ミスがあったのではと疑われているんだろうか」と訝しんだ。
 Yくんは、がんが進行して死に至った。確かに、予想以上に早い死ではあったけれども、「どうしてだ!」と驚くほど早かったわけではない。僕らからすれば「ありえること」なんだ。きっとそれを伝えたらわかってくれるだろう。

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