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未来への呪いは罪深い

今日のnoteはあまり気分がいい内容ではないことを最初に書いておく。
気持ちが落ち込んでいるとか、もともとイライラしているのだったら、今すぐ下記からTwitterに飛んで、写真展の予定をチェックしてワクワクしたほうがいい。
ちなみに僕も行きます。たぶん最終日。
僕がずっと前からやりたいと思っていて、いまインスタでやろうとしていることを、もっと洗練された形でドドーンと出されたという衝撃を受けた企画なので、見ないと眠れない。


さて本題。
今日、幡野さんが『安楽死特区』についての記事をあげていたので、それについて僕もきちんと書いておきたいと思って。
年末に思い余って連続ツイートした内容に、少し追記して。
(ちなみに今日取り上げている写真は全て幡野さん撮影のもの)

幡野さんの記事を読んでから、僕のほうを読んだらいいと思うけど、ここで言及しているのはこちらの本。
僕も結論から言えば、読後感はあんまり良くはない。

僕の本で書いた内容と同じテーマだったので期待して読んだが、まず一番に気になったのは
「安楽死を自ら望んでいる人にひとりでも会って書いたのだろうか?」
という疑問。せめてその家族や密着したジャーナリストとか。

少なくとも、私がお会いしたり、お聞きした方で登場人物のような考え方をする方はいなかった。
安楽制度の是非は別として、僕は安楽死を自ら望む方々の思いは人それぞれに本当に真摯なものが多く、尊重されるべきだと思う。
それがこの物語の中では、毀損されているように感じる。そんな考え方や行動するか?っていう。
フィクションだからそこは自由とはいえ、僕が出会ってきた方々の思いを踏みにじられた感じがして、気分が良いものではない。

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もう一つ気分が悪いのは、キャラのモデルとなった人物が数名、明らかに実在の人物をモデルとしている中で、彼らに未来への呪いをかけていること。
これもフィクションだから、とは言え、これほど細かく描写してれば、多くの人が「あの人のことだな」とわかる。
そして「未来はこうなります」という形で、そのキャラが貶められるのは、少なくとも自分がモデルの立場だったら気持ち悪さしか感じない。
そういう想像力もないのか、と思わしめる時点で、読むのが苦痛になる。

過去に対する呪いについては、以前にBuzzfeedで、有名人の治療経過についてとりあげて「こうしておけばよかったのに」という記事を書く医療者に対して強く批判をした。

僕からすれば「なんでそんなこと言えるの?」という思いである。
仮に、その有名人がニセ医療にはまった結果、命を落としたという内容だったとしても、その有名人の人生を貶めるコメントは不要である。そもそも、その医療者は有名人の主治医でもなく、その人がどういった思いでその治療方針を選択されたかなど知る由もないはずだ。

そしてこの本は過去ではなく、未来に対する呪いとなる本だと思う。
安楽死を望んでいた知事も写真家の彼も悲劇的な最期を迎えるが、患者の人生を筆者の思想の素材にして消費しているように感じてしまう。
そもそも、なぜこの物語では登場人物のモデルが誰しもが「あの人だろうな」と特定されるような形で取り上げられなければならないのか。僕は、自らが診療した患者の物語について、「それをどうしても取り上げなければならない」蓋然性と公益性があるのなら、個人が特定されない形に大幅に改変したうえで、取り上げることは意義があるとは思う。もし個人が特定される可能性があるなら、本人や家族に了承を得るべきだろう。
しかし本書はフィクションと最初からうたっているのだから、もっと全然違う形で物語を作ることだってできたはずなのである。それを敢えてせずに、読者がモデルを想像できるような登場人物を取り上げていることが悪趣味と感じる。

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ちょっと話がそれるけど、極端な医師はみんな同じような思考を持っていて興味深い。それが標準治療の医師でも、免疫療法の医師でも、在宅医もその他のニセ医療の医師でも、みんな「自分の治療法」に患者を乗せようとする。それが患者にとって「一番正しい生き方」であり、自分がそれを導くんだという意識が透けて見える。表面的にはみんな「患者のためを思って」と言ってはいるが。
そうでなければ「どうして俺の言うとおりに治療しないんだ!」って患者を怒鳴ったりしないでしょ。
そして、その思想のためであれば、患者の人生を消費することもいとわない。

もちろん、患者の人生を本当に考えてくれる医師も大勢いることは事実だ。まず患者の望む生き方を尋ね、それに合わせて専門家としてのアドバイスを適切に行い、二人三脚で治療に取り組んでいく医師たちだ。
ただ、「自分の治療が一番に思う」という部分については僕だって例外ではない。
自分の思いに患者を乗せるのに自覚的かそうではないか、乗せる程度か軽いか重いかの違いはあれど。
だからこれは自分への戒めだ。

また、あまり言うとネタバレになるので細かくは言えないが、物語の展開的に「えっ、なんで?」とか「そこでそれを持ちだしたら台無しじゃん」というところが複数ある。
ひとことで言えば「白ける」のである。
物語として単純に面白くない。
ひとことだけ言うのなら、「安楽死を推進する流れを理論的に止められないから、あのような結末で全部ぶちこわしにするしかなかったのだろうか」、と僕は感じた。

ちなみに幡野さんもネタバレしてるが、実はストーリーちょっと間違っている。
「いや、そこのところそんな展開じゃなかったですよね!」
と画面の向こうにツッコんだ。
そんな間違いするくらい、もう記憶から薄くなっているのであればある意味安心なのだけど。

ちなみにこれは個人の感想なので、また他の方のご意見も拝見したいところ。少なくとも僕は、安楽死問題を考えるうえで、この物語はあまり評価できない。
そんなに世界は単純にできていないし、人の思いもそうだと思う。

(読んだ皆さんもちょっとイライラしたと思うけど、最後に「スキ」押して、おいしいすしネタみてクスッと笑って中和されて下さい)


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