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 拙著『ことばがこどもの未来をつくる -谷川雁の教育活動から萌え出でしもの』(2020年8月 アーツアンドクラフツ)

初版の223ページ 注6で、私は以下のように記しています。

 一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ、とギリシアの哲学者エラスムスは言った(後にこの言葉をチャップリンが映画『殺人狂時代』で主人公に語らせて人口に膾炙した)。

 ここには誤記があり、正しくは「オランダの哲学者エラスムスは」とすべきでした。謹んで訂正致します。エラスムスはギリシア語やラテン語で文筆活動をした人であったため、つい「ギリシアの」と誤記してしまったものと思われます。正しくは「ロッテルダムのエラスムス」と言われたぐらいの人なのですから、当然「オランダの哲学者エラスムスは」でなくてはいけない。お恥ずかしい限りです。
(第二版では修正しています)

本稿対象となる名言

 さてその私の誤りは誤りとして、そもそもチャップリンが映画『殺人狂時代』(1947年)の中で行ったスピーチ

One murder makes a villain, millions a hero. Numbers sanctify.

(直訳:一つの殺人は一人の悪役を作る。数百万(の殺人)は一人の英雄を作る。数が浄化(正当化)する)

の典拠をエラスムスだと書いたことが、そもそも正しいか?ということについて本稿で記したいと思います。何故ならこの演説の典拠についてはエラスムスだという人と、ポーテューズだという人とがいるからです。

類似の名言

 さて、まずは名言を集めた『死の辞典』/ロベール・サバチエ著(窪田般彌・堀田郷弘訳)(1991年 読売新聞社)を見てみましょう。

 「戦争」に関する名言は7ページにわたって紹介されていますが、そのうちの1ページである440ページを見るだけでも類似のことばが多くあります。生年順に挙げれば以下の通りです。

エラスムス(1466-1536 蘭)「たった一人を殺せば極悪人となる。多数を殺せば英雄となる」

ラマルティーヌ(1790-1869 仏)「幾千の殺しは勝利と呼ばれる」

ジャン・ロスタン(1868-1918 仏)「一人の人間を殺すと、殺人者である。幾百万の人間を殺すと、征服者である。すべての人間を殺すと、神である」

ジャン=アンリ・ファーブル(1889-1952 仏)「戦争とは、大がかりに殺す技術であり、また小規模に行えば絞首台に通じることを誇りをもって行うことである」

 辞典の編纂者サバチエ(1923-2012)自身がフランス人であるためでしょう、フランス人の言葉が多く引かれています。サバチエがここで典拠を明らかにせず言葉だけを置いているのは残念です。どの本のどこにあると書いてあればよかったのですが、確実な原典に当たるのは大変な労力を要しそうです。

 これだけ多くの人が同じようなことを言っていますが、いずれにせよ死、殺人、戦争という非常に一般的な主題に関する名言であるため、似通うものではありましょう。また、これらの似通った言葉は自ら考えたというよりは先人の影響を承けたもの、自分なりの言い方に変えたものと考えることもできるかと思います。誰の著作権とは言いがたい言葉だと思いますが、私はこれらの中で最も古いエラスムスを採ったものです。

チャップリンが典拠にしたのは?

 さて、それではチャップリンは誰の言葉を典拠としたのでしょう。本人が語ってはいないようであり、定かではありません。もちろんこの映画の撮影時にはサバチエの本はありませんから、この本から採ったわけではありません。しかし、サバチエの本に集められたのは古今の名言ですので、ここに載っている4つの言葉はチャップリンが誰の言葉を典拠としたかのヒントにはなるでしょう。

 そこで私としては4人中一番古いエラスムスを典拠と記したわけですが、
しかしそもそもエラスムスは『格言集(Adagia)』という、いにしえのギリシア・ローマ文化期の格言を集めた本を出しているぐらいですから、この言葉もエラスムスのものではなく、誰かギリシア・ローマの先人のものなのかもしれません。そうなると更に誰が著作権を有する言葉などと言うこと自体が無意味な気がしてきます。

 一方サバチエの『死の辞典』には収録されていませんが、イギリス国教会の牧師ベイルビー・ポーテューズが1759年に著した詩的エッセイ「死」にもチャップリンのスピーチとほぼ同じことがあり、原文を以下で参照することができます。

 ここには以下の言葉が記されています。

One murder made a Villain, Millions a Hero. (中略) numbers sanctified the crime.

(直訳:一つの殺人は一人の悪役を作った。数百万(の殺人)は一人の英雄を作った。数がその犯罪を浄化(正当化)した)

チャップリンのスピーチ中の言葉を再掲すると以下の通りですから、

One murder makes a villain, millions a hero. Numbers sanctify.

(直訳:一つの殺人は一人の悪役を作る。数百万(の殺人)は一人の英雄を作る。数が浄化(正当化)する)

これが典拠だろう、とする説には妥当性があると思います。madeとmakes、sanctified the crimeとsanctifyなど細部の違いはありますが、ほぼ同じと言えましょう。チャップリンはポーテューズと同じイギリス生まれですし、Villain(悪役)という特徴的な単語を使っているあたりからも、直接的にはポーテューズのこの詩的エッセイから採ったと見るのが妥当なのでしょう。

 しかし一方で先ほども述べましたように、誰が著作権を持つとはっきり言えないような一般的な言葉として古くからヨーロッパで次々と言い換えをされて使われてきた言葉といえるようですから、ポーテューズの発明した言葉とも言えないでしょう。この言葉の源流は?となると確定的なことは言いづらく、諸説出るのはそのためでしょう。

まとめ

 まとめます。本稿で採り上げた5人の候補者を生年順に並べてみます。

エラスムス(1466-1536 蘭)

ベイルビー・ポーテューズ(1731-1809 英)

ラマルティーヌ(1790-1869 仏)

ジャン・ロスタン(1868-1918 仏)

ジャン=アンリ・ファーブル(1889-1952 仏)

 チャップリンと同じイギリスの人で、英語の言い回しもほぼ同じポーテューズの言葉が直接の典拠と言えるでしょう。しかし意味として同じことを約300年前に「人文主義の王者」とも呼ばれるほどにヨーロッパじゅうに大きな影響をもたらしたエラスムスが言っているわけですから、源流はここに遡ると言えるかとも思います。さらにこの言葉はエラスムスの考案ではなく、いにしえのギリシア・ローマの名言を採っているのかもしれず、それこそが泉湧き出ずるところと言えるのかもしれません。

蛇足、あるいは最古?

 一方、東洋にも同様の言葉があります。『墨子』の「非攻」編の以下の記述です。

「一人を殺さばこれを不義と謂い、必ず一死罪あり。もしこの説を以て往かば、十人殺せば不義を十重す、必ず十死罪あり。百人殺せば不義を百重す、必ず百死罪あり。かくのごときは天下の君子、みな知りてこれを非とし、これを不義と謂う。いま大いに不義をなし、国を攻めるに至りては、すなわち非とするを知らず、従いてこれを誉め、これを義と謂う。まことにその不義を知らざるなり」

 エラスムスがギリシア・ローマ文化期の言葉を引用あるいは参照したとして、ギリシア・ローマ文化期とひと言でいっても長い期間なので、その最古期だとしても紀元前4xx年ということになるでしょう。一方の墨子は紀元前470年頃に生まれた人です。ほぼ同時期に東西で同じ言葉が生まれていたということになるでしょうか。そうだとして、これらの言葉が当時影響し合ったとは思えません。やはりこれらの言葉は、人間社会の真理を言い当てているものなのでしょう。従って深く考えた人が東西ほぼ同時期に思い至った、ということなのかもしれません。

 とはいえ、エラスムスの方は彼自身の言葉なのか、ギリシア・ローマ文化期の言葉を引用したものなのかを私が確認しきれないでおりますので、現時点では「墨子が最古!」ということになるのかもしれません。

(今後さらにエラスムスの文章にあたってみて、彼自身の言葉だったか、いにしえの言葉の引用だったかを確認してみたいと思います。わかりましたら続報します。また、ご専門の方などに御教示いただけましたら大変ありがたく存じます)

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