見出し画像

 土浦セントラルシネマズへ。ドキュメンタリー映画「ジャズ喫茶 ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)」を観た。土浦セントラルシネマズは、全国チェーンあるいは外資のシネマコンプレックス全盛の御時世のなか、単館で頑張ってくれている地元のミニシアター。一時期シネマ1~4の4スクリーンを擁するシネマコンプレックス様態になったりもした歴史もあるようだが、現在はシネマ1のみの1スクリーンでの営業になっている。昔ながらの映画館の風情もあり、また映画にかける熱い思いが掲示物から溢れていて、今までご縁がなかったが、今後は何度も行くぞ!と誓ったいい映画館だった。

 しかし300席あるシネマ1に私を含め6人しか座っていなかったのも事実。経営は大変だろうな…。「鬼滅の刃」大ヒットで映画業界は活気を取り戻した、などと言われているが、それはあくまでシネマコンプレックスを中心とした話で。単館の映画館はこうした渋い映画をかけ続けてくれていてありがたい…とつくづく思う。

マスター菅原正二の生きざま

 最高の映画だったか?と聞かれれば、うんとは言えない。後述するが、映画の構成や技法に難を感じたのが事実だ。しかし「菅原正二の生きざま」を観られたことに感謝したい。ジャズ喫茶ベイシーのマスター菅原の言葉、佇まい、生きざまの魅力に拠って立つ映画と言えよう。

 知る人ぞ知る、世界中から客が来るジャズ喫茶ベイシー。岩手県一関市という首都から遠いロケーションなど、全くものともしない。著名人なども新幹線で通うとも言われる。私が好んで読む色川武大もその一人だった。晩年遂には東京から一関に移住までしている。

 私も一度だけ、三年前に訪れた。とてもすてきな店構え、すばらしい音、マスターのドラムプレイが記憶に残っている。

画像1

とは言え、いちげんの客としては話しかけるなどということはもちろんしないので、マスターの話しぶりなどはこの映画で初めて知った。

 岩手県一関市出身、早稲田大学に進み、ハイソサエティー・オーケストラでバンドマスター、ドラマーとして活躍、日本のビッグバンドとして初のアメリカツアーも敢行。その後プロのドラマーとしても活動したのち、郷里に戻りジャズ喫茶「ベイシー」を開業、という経歴の方。岩手訛りがいい感じ…。外見はとてもカッコいいのだけれど、この岩手訛りと、シャープな言葉がミクスチャーされて、なんとも言えない味になっているんだなぁ、この方は。
 以前放映されていたテレビ番組「ヨルタモリ」でタモリが演じた「吉原さん」はこのマスター菅原さんがモデルだと聞いたが、確かに似ていると言えば似ている。さすがタモリ。しかし吉原さんと違って、菅原さん、カッコいいわ〜。

 映画の中の言葉でも、カッコいい音、というのを大事にしているんだというものがあった。オーディオ等へのマニアックなこだわりもあり、充分にカッコいい男性なんだけど同時に男の子の部分も残している方だな。

 「スピーカーも楽器と言える」とか、「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけだ」という言葉も気負って言っているわけではなく、この方が言うと、なるほどな…と思わせる。

映画に出てくる人々、構成上の難

 阿部薫さんのことは寡聞にして知らなかったが早逝した伝説のサクソフォーン奏者らしい。帰宅して調べたが、29歳で薬の大量摂取により亡くなったらしい。自殺か事故かは不明とのこと。数分の映像が映画に出てきたが、確かにスゴい…。叫ぶように吹き、生きざまを全て演奏に乗せていることが数分でも伝わる。

 渡辺貞夫がリガチャーによって音が変わるということをマスターに向けて実演している部分もおもしろかった。

 そのほかに坂田明、村上”ポンタ”秀一、中村誠一、安藤忠雄、鈴木京香なども登場。タモリも、マスターが話す背景に二人で写っている写真がずっと映り込んでいた。

 クラシック畑から小澤征爾、豊嶋泰嗣が出ており、水戸芸術館を愛する私としてはもちろん食い入るように観た。しかしどうだろう…、この映画としてはこの部分は不要だったかも…。ヨーロッパのプレイヤーが食事しながらジャズ全般などについて語る部分も同様。どうも映画が何を語りたかったのかがわかりづらくなる構成が残念。

 一方で、東日本大震災時に東北全域のジャズ喫茶のマスターたちが集まって、菅原さんを中心に様々な活動をした、というあたりはとてもよかった。また宮城や東京のジャズ喫茶のマスターが、ジャズ喫茶について、ジャズについて、菅原さんについて語る証言は、ちょうどいい感じに映画を多面的にしていて効果的。やはりテーマはフォーカスすべきだと感じる。この映画で言えば「マスター」「ジャズ喫茶」だろうか。更に「ジャズ」「音楽」までテーマを広げてしまったがために、散漫な印象を生じさせてしまった感あり。

映像美

 映像はとても美しかったと思う。特に最後の方で白黒にて雪の一関を映したあたりはとてもよかった。

表現上で残念だった点

 ただ、残念だったのは画面に文を映す表現。映画が字に頼ってはいかんだろう…。北方謙三の文章らしいが…。時々こういう映画を見かけるが、ナレーションで語らせるなり、モンタージュで表現するなり、映画的表現こそで勝負してほしいと思う。

まとめ

 最後に残念だった点も挙げてしまったが、冒頭にも書いたとおり、この映画を作ってくれたことに感謝。菅原正二の生きざまを観ることができた。

 自分をしっかり持って生きている人だ。私などは他人に振り回されたり、色んな事に気が散ったりしてしまっている。短い人生、自分がやりたいことをやる、という確固とした生きざま、今からでも、少しでも見倣っていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?