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過去のレコ評(竹書房vo.16-20)

Vol.16
チェット・ベイカーのハプニング「チェット・ベイカー・シングス」
例えば、自分の腕時計を作ってみようと思う人はいないと思う。
自分で腕時計を作るとしたら、どれだけの時間が必要かなんて思いもつかない。
この分業社会では、プロに任せて作ってもらい対価を支払うほうが、
機能が良くてデザインも良い時計を、手っ取り早く手に入れられる。
プロの腕前が上がったおかげで、昔は高価だった腕時計だが、
今では電池交換よりも安い時計さえ出回っているほどだ。
更に、腕時計を作るプロの中でも分業が行われる。文字盤を作る人、
針を作る人、ベルトを作る人、組み立てる人…。その中にはネジだけを 作る人もいるかもしれない。
毎日ネジばかり作っていた人が秒針を作ったらどうなるか?
ネジに比べれば秒針なんて簡単だと思いこんでいた人が、
秒針作りの難しさに初めて気づくかもしれない。
または、秒針ばかり作っていた人とは違った斬新な発想で、 今までになかった楽しい秒針が出来るかもしれない。
ジャズ・トランペッターのチェット・ベイカーが1950年代に吹き込んだこのアルバム は、 その名の通り彼がボーカルをとっている。彼はトランペットを吹くように歌を歌っ た。
だからそのスタイルには、従来のボーカリストとは違う魅力がある。
これは幸せなハプニングだ。

Vol.17
トーリ・エイモスと信じられる音楽「ストレンジ・リトル・ガールズ」
分業が進むほど、世の中に出回る品物の数は増える。
例えば、一人で自分の洋服を作るより、誰かが洋服を作ってくれるほうが、たくさん の洋服が世の中に溢れ、僕たちはその中から好きな洋服を選ぶことができる。これは 幸せなことだ。
けれども、分業が進んで、洋服を作る人は自分のための洋服を作らなくなってしまっ た。
自分が着たい服ではなくて、誰かが着たいと思う洋服を作ることが求められるように なってしまった。
自分は着たくないけども、誰かのためだけに作るとしたら、これは幸せなことだろう か?
そんな作り方で、そんな愛情の傾け方で、本当に良いものは出来あがるだろうか?
トーリ・エイモスのこのアルバムには、トーリ自身が聴きたかった音が詰まってい る。
想像を超えた処理を施された音たちが、この中に詰まっている。
それは時に例えようもないほど美しく、時にクレイジーだ。
世の中の誰かが聴きたいと思う音楽、それを彼女は意識しなかった。
彼女自身が聴きたかった音楽を、全身全霊をうちこんで表現した。
だからこそ、今までこの世の中になかったものを、彼女は見せてくれる。
信じるに値する本物の音楽が、ここにはある。

No18
ジェブ・ロイ・ニコルズの音楽の力 - その2 「イージー・ナウ」
今回は「その2」だ。
なぜかというと、1年ほど前にも彼の「ジャスト・ホワット・タイム・イト・イズ」 というアルバムを取り上げたから。
その時僕は「音楽を言葉で人に伝えるのは難しい」と書きながらも、 なんとか彼の音楽の良さを伝えようとした。
けれども、僕の文章を読んで何人の人がそのアルバムを聞こうと思ってくれただろう か。
たぶん、まだまだ力不足だったと思う。だから今回もトライさせてもらう。
CDにある宣伝文句はこうだ。
「緩やかに流れるグルーブ、アコースティック・サウンド。
ハートにあるのはソウル・ミュージック…」
これはこう読み替えて良い。
「緩やかな時間の流れ、そして仲の良い人と過ごす時間の楽しさ。
ここ何十年間の急速な都市化にも関わらず、昔から変わらない毎日の営み。
そんな単純な生活への愛着。
悲しみややるせなさを知ったことで覚えた他人への思いやり。
これら、人が失ったわけではない良きものがここには詰まっている。
これらを確かめたければ、この音を聞いて欲しい。
これらを思い出したければ、この音をあなたに聞いて欲しい」
ぜひ。

vol.19
ジャイール・オリヴェイラの融合と共存 「アウトロ」
どうして異なるルーツの混ざった音楽は面白いのだろうか?
これは長年の疑問だった。
そしてとうとう、一つの仮説が思いついた。
それは「矛盾し得るものが破綻無く共存している」ということ。
体系立てられていて純粋なものは、世の中では意外と多い。
純粋なもの、つまりそれは、伝統的な芸能、正当だと認められた技法。
それらは「良きもの」という一つの頂点を皆が目指してヒエラルヒーの中に収まって いる。
そしてそのヒエラルヒーのピラミッドの中には、かなり大勢の人数がいる。
ピラミッドの中の音楽は、頂点以外は珍しくも何ともなく、面白みがない。
そこに異文化が混入する。
最初は融合せずツギハギだらけで、どうしようもないものだろう。
けれどいつか、才能ある者がそれを融合させる。
そこでは、矛盾するはずのものが共存している。
つまり、有り得ないことが有り得ている。ここに価値がある。
ブラジルとイギリスと日本、これらの国は世界の中でも融合が起こりやすい国だ。
ジャイール・オリヴェイラはブラジルという国で、有り得ないものを有り得るものに した。

vol.20
シャーデーの歌「ラバーズ・ライブ」
人は何故歌いたくなるのだろう?
アルバム「ラバーズ・ロック」を発売後のライブを収めたDVDの中盤、「キッス・オブ・ ライフ」という曲が始まる。
いてもたってもいられない、という様子で一人が立ちあ がる。
それにつられてまた一人、立ちあがりリズムをとる。カップルが抱き合う。肌 の色の違う2人が踊り出す。いかつい体の男が、とろけそうな顔でメロディに酔う。
女の子が胸に手を当てて泣きそうな顔をして歌う。会場全体が歌で包まれる。
“あなたはくれた いのちのキスを”と、会場全ての人たちが歌っている。
みんな、その言葉を自分の口で声にしたいのだ。誰に聞いてもらうでもなく、大きな 声で口にしたいのだ。“あなたはくれた いのちのキスを”、と。
それは、平和で、心配事も忘れ、無防備で、嬉しくて、楽しくて、泣きそうで、満た されていて、感謝して、幸せな時間。
そんな時、人は歌いたくなる。

(竹書房「Dokiッ! 」にて2001年から連載「ボクが音楽から教わったこと」より)

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