仮面ライダーセイバーという作品が紅生姜で逆転満塁ホームラン放った話~仮面ライダーセイバー総括~

はじめに

 仮面ライダーセイバー第43章でデザストと蓮の物語が一区切りを迎えた。この物語に心をすごく打たれたので、感想をとにかく書き連ねることとする。

コロナ禍で窮余の策だった、キャラカタログ的作品

 仮面ライダーセイバーは令和ライダー第2弾という位置づけで2020年9月に放送開始された。本作はコロナ禍の真っただ中に制作開始されただけあって、製作リソースが今まで以上に限られていた。そのため、3点の施策がなされた。
 [1] 合成技術の多用によるロケ撮影回数の削減と演者密集の回避
 本作ではCOVID-19感染回避のため、撮影所の演者の映像に実景を合成してロケ撮影回数を削減することでロケ撮影に伴う越境を回避したり、演者単独の演技映像を合成して複数演者の演技映像にすることで演者の密集を回避したりしている。
 [2] ストーリーテラーの登場とエンディング主題歌による時間稼ぎ
 本作ではタッセルというストーリーテラーが冒頭と最後に登場して物語の導入と締めを担当していたり、仮面ライダー響鬼ぶりにエンディング主題歌を復活させたりして時間を稼ぐことで、実質の本編の時間を短縮して撮影リソースの節約を図っている。
 [3] 複数の味方ライダーの登場とシンプルなストーリー展開
 本作ではロケ撮影回数の削減や演者密集の回避を図っているが、ややもすると画面が寂しくなるという危惧があったため、複数のライダーを登場させることで「どれだけ画面をにぎやかにできるか」という実験を行った感がある。画面の賑やかさを優先させているためか、平成によくあるライダーバトルではなく一人除いて複数ライダーを全員味方にして、シンプルなストーリー展開にしている感がある。
 と、こんな感じでかなり実験作寄りに開始された感がある。[3]に至っては戦隊シリーズやアイドルアニメ、ロボットコメディものなどの
 キャラカタログ作品
になっていると思っている。キャラカタログ作品とは、主役以外にも準主役を複数登場させて、どの主役級キャラを推すかを視聴者に選択させるような類の作品である。例えば戦隊であれば主役はアカだがアオも主役級に活躍してるためアオを推すって人が出てきたり、アイマスなら主役は春香だが雪歩のほうが好みって人が出てきたり、といった感じである。

年末の路線変更

 このような形で開始された仮面ライダーセイバーだが、話がシンプルすぎる一方で多くの要素を盛り込みすぎたためか賛否両論になり、否定派の声が大きかった感がある。本作は実験作的な要素が強かった感があるが、それだけに否定派の考えも理解できなくはない。
 仮面ライダーは旧1号編こそシリアスだったが、2号編からJまではたまにXや真やBLACKなどでシリアスを交えつつ、基本はエンターテイメント性全振りの作品だった感がある。しかし、2000年に入り仮面ライダークウガやアギトが大ヒットして平成ライダーシリーズが定着して20年以上も経過すると、「仮面ライダーは大人の視聴に耐えうるもの」という固定観念が確立してしまい、シンプルなストーリー展開に対して拒絶反応を起こしてしまったのではないかと考えている。また設定盛り込みすぎ問題についても、ライダーが多く登場したためか、制作側が玩具をたくさん売ろうとしているんじゃないかと視聴者が勘ぐったのではないかとも考えている。
 そういう背景があったからか、当初の予定だったかは不明だが、年末から以下3点の施策がなされることとなる。
 [1] 作品世界の説明役・ユーリの登場
 設定盛り込みすぎ問題に対して、タッセルの友人である仮面ライダー最光/ユーリを登場させ、作品の節々で作品世界をユーリに解説させることで説明不足を解消した感がある。この話について、仮面ライダー剣で当初話がわかりにくかったが、嶋さんという説明役を登場させてから話がわかりやすくなったという現象に例えてらした方がネットにいらして、非常に腑に落ちた思い出がある。
 [2] 飛羽真 VS ソードオブロゴス
 途中から登場した神代玲花により飛羽真は裏切り者扱いされ、ソードオブロゴスの剣士とライダーバトルを繰り広げることとなる。しかし、飛羽真は大秦寺と幾度か剣を交えて魂をぶつけたことにより、大秦寺と和解する。さらに尾上さん、倫太郎、賢人とも和解する。この流れで、ライダーバトルで魂を通わせることにより強くなるという、昭和ライダーの特徴である「特訓」と平成ライダーの特徴である「ライダーバトルによる魂のぶつけ合い」を融合させた作風が確立することとなる。

 ・・・しかし、一人だけ和解していないライダーがいた。仮面ライダー剣斬/緋道蓮である。また、敵味方のインフレにより、話に取り残されつつあった敵キャラがいた。デザストである。この二人が交わることで、新たな展開が生まれることとなる。

 [3] デザストと蓮の交流
 ツイッター上で「デザさんぽ」と称してデザストが旅をして各地の自然と触れ合う写真を公式アカウントがUPなさっていた。この流れに沿い、話の中盤以降にデザストが蓮と出会い、あてのない旅を続け交流を深めていくこととなる。

似たもの同士な蓮とデザスト

 蓮はゴレンジャーで言えばミドレンジャーに相当する若手ポジションであり、生意気だったり感情的だったりするところが特徴的でありながら、「正義は強さ」を信条としており、自分よりも強い賢人を慕っていた。年末まではソードオブロゴスの面々とともに何事もなく戦っていたが、玲花から飛羽真が裏切り者だと聞いてからは、その若さゆえに怒涛の展開に最も振り回されることとなる。

 賢人を倒した上條の話を信じる飛羽真を恨んだり、
 玲花の命令を鵜呑みにして飛羽真を襲ったり、
 倒されたと思っていた賢人が目の前に現れたり、
 かと思えば賢人が自分の剣を封印してきたり、
 裏切り者が飛羽真ではなくマスターロゴスだったり、
 久々に飛羽真と再戦したら滅茶苦茶強くなっていたり…

 このようなこともあり、蓮は自分の存在意義について悩むこととなる。メタな話だが、そもそも名前からして蓮という名前は仮面ライダー龍騎の2号ライダーである秋山蓮と被っているし、仮面ライダー剣斬という名前も仮面ライダー剣と似ており、仮面ライダーシリーズ的にもアイデンティティを問われている。蓮は当初玲花のいるサウザンベースと行動を共にしていたが、怒涛の展開もあり皆と袂を分かち、一人で行動することとなる。

 一方のデザスト。やや格上のメギド(=通常怪人)として登場し、仮面ライダーカリバーにして先代仮面ライダーセイバーである上條大地を倒す…ところまでは普通に悪として活動していた。しかし先述の年末の路線変更により、神代玲花やマスターロゴスといった第三勢力が猛威をふるうようになってからは、しばらく影を潜めることとなる…

 が、ここで終わるデザストではなかった。なんとツイッターの仮面ライダーセイバー公式アカウント上に「 #デザさんぽ 」なるタグで以下の投稿がなされたのである。

 でもって以下のようなツイートが公式アカウントに度々投稿されることとなる。

 でもってデザさんぽの投稿が数を重ねていった矢先、デザストが蓮と出会い「お前は俺たち側の人間だ」と誘い出す。蓮は当初拒絶していたが、ソードオブロゴスの人間関係的にも強さにおいても周りに取り残されたためか、はたまたデザストが悪ぶりながら蓮のことを気遣っていたためか、気づけば蓮はデザストと行動を共にするようになっていった。
 また、この二人は一緒にカップラーメンを食べることがあったが、「紅生姜うまいぞ」と言うデザストに対し、蓮は「紅生姜など不要」と反発していた。
 そんな中、再生能力を誇るデザストに異変が生じる。敵の攻撃により寿命があとわずかとなってしまった。そこでデザストは蓮と最後の決闘を行うこととなる。神山飛羽真が他の仲間と行っていたような決闘という名の特訓のもと、デザストのおかげで蓮は自分の持つ強さに気づくが、デザストは消滅。直前にデザストと蓮は「会わなければ良かった」と粋がりつつも、お互いに別れを悲しんでいた。そして蓮はのちにカップラーメンを一人で食べるが、今まで食べていなかった紅ショウガを一緒に食べ、「しょっぺえ…」とつぶやく…

 こんな感じで話が進むにつれて、私はデザ蓮の話にズブズブハマっていき、特に第43章はデザスト役の内山昂輝さんと蓮役の富樫慧士さんの迫真の演技といい、魂のぶつけ合いを彩る川津明日香さんの特別挿入歌といい、それらをまとめる脚本・演出といい、何もかもが素晴らしかった。気づけば2021年度俺的オタク作品MVPの筆頭候補がデザ蓮になるほどであり、仮面ライダーセイバーという作品が紅生姜により逆転満塁ホームランを打ったという感触がした。

 しかしこのデザ蓮ってどっかで既視感あるよなと思いきや、1992年1月から放送されたテレビドラマ「愛という名のもとに」のチョロであるということに気づいた。

令和版「愛という名のもとに」

 「愛という名のもとに」は先述の通りトレンディドラマ全盛だった1992年に放送が開始され、当初は皆トレンディドラマだと思い飛びついていったが、中身はトレンディドラマの皮を被った群像劇型社会派ドラマだった。脚本の野島伸司さんが後に「高校教師」や「人間・失格」など重たいドラマを執筆なさるターニングポイントとなった作品でもある。
 また群像劇型ということで7人の登場人物にそれぞれドラマがあり、同時並行で流れていくことが特徴だった。特撮的に言えば五星戦隊ダイレンジャーが好例である。
 とはいえ本作はダイレンジャーが放送される1年前であり、私自身は群像劇の楽しみ方を知らなかった。そのため、7人の登場人物の物語全てを追うことができなかった。鈴木保奈美さん演じる高校教師が教え子から強制わいせつされそうになったり、石橋保さん(後にウルトラマンネクサスのナイトレイダーの隊長役になる)演じる登場人物絡みで「ボランティアは偽善だ」と語られるシーンがあったり、唐沢寿明さん演じる登場人物がお子様ランチを意図的に注文したり…ということぐらいしか今では記憶にない。
 しかしそんな中でも、中野英雄さん演じるチョロこと倉田篤のことだけは今でもしっかり覚えている。チョロは7人の登場人物の中でも末席だったにも関わらず、ドラマ的には一、二を争うほど重かったと記憶している。
 チョロは証券会社に勤めており上司からパワハラを受けており、放送当時はパワハラが社会悪として認められていなかったため、パワハラで受けた心の傷をスナック勤めのJJという女性に癒してもらっていた。そんな中、チョロはJJから病気の母の手術に大金が必要だと言われ、顧客から横領した200万円をJJに渡してしまう。しかしJJは他の男性にも同じ手で金を集めており、さらには上司に横領がバレて叱責を受けたことを機に逆上して上司を血まみれになるまで殴り、逃亡の末に…といった具合である。

https://www.news-postseven.com/kaigo/82582

 とにかくチョロの悲劇が見ていてチョロが可哀相だったという覚えがある。この放送の約1ヶ月前に鳥人戦隊ジェットマンの最終回見て凱が可哀相と思っていたが、個人的な可哀相キャラランキングをチョロはいとも容易く塗り替えたのである。
 この「愛という名のもとに」はおそらく鈴木保奈美さんや唐沢寿明さん、江口洋介さんといった3人の物語がメインストリームであり、チョロの物語はサブストリームという位置づけだと当方は認識している。しかしこのサブストリームが最も心に刺さったという構図が放送当時ものすごく印象的だった。
 仮面ライダーセイバーに話を戻すと、仮面ライダーセイバーにも複数の登場人物が織りなす群像劇という側面があると思う。その中で神山飛羽真と新堂倫太郎と富加宮賢人の3人の物語がメインストリームであり、年長組やデザ蓮の物語はサブストリームという位置づけだと認識している。そもそもデザ蓮最終話である第43話ですらデザ蓮の物語を最後に持って来ずに、クライマックスは飛羽真の物語で締めている。
 こちらについても個人的にサブストリームが最も心に刺さったという点で、「愛という名のもとに」と共通しており、仮面ライダーセイバー=令和版「愛という名のもとに」なんじゃないかと思った。

 振り返れば仮面ライダーセイバーはコロナ禍における実験作として作られたものの、声のデカい(影響力の大きい)アンチの影響か当初の予定か不明だが年末で路線変更することになった。要素盛りすぎ気味だった作品が整理されて作品としての完成度は上がりつつも、優等生っぽい気があり仮面ライダーの歴史に埋もれてしまいそうな感はあった。
 そんな中、デザ蓮の物語は仮面ライダーの歴史に傷跡残そうという意図で作られ、私をはじめ物語を追っていた人々のうち多くの人の心をつかんでいったのかもしれないと思っている。

蓮のその後

 デザストとの決闘後も蓮は単独行動をとっていたが、賢人の誘いで最終決戦には合流する決意をする。蓮はデザストの力を借りて難攻不落の四賢者の一人を真っ先に倒し、次の四賢者の一人も倒すという大活躍をなしていて、個人的には蓮の活躍っぷりがうれしかったりする。また個人的には蓮が出ただけで目から心の汗が出るという現象が多発するようになった。
 とはいえラスボスであるストリウスとの決戦に蓮が参加していなかったのが非常に残念である。飛羽真とストリウスの対決の論点が「運命は変えられるか変えられないか」という話だったので、本筋とは関係なく自由だった蓮が乱入することで物語の運命が変わっていくのかと予想していただけに、残念だった。
 とはいえ蓮が一貫してメインストリームに絡まないという点は意地を通していていい意味で仮面ライダーセイバーらしいと思うし、予定調和を崩すと話がわけわからなくなるという弱点もあるため、あの結末でよかったのかも、と今では思っている。

終わりに

 以上、デザ蓮についての感想を第43話放送直後に挙げようと思いきや、文章まとめるのに時間がかかり、結局最終章放送後のアップになってしまい、本稿が仮面ライダーセイバーの総括的な感想になってしまったのはご愛敬である。
 総括するとコロナ禍における実験作として始まった仮面ライダーセイバーだったが、デザさんぽに始まるデザ蓮の物語に、仮面ライダーセイバーのスタッフ・キャストの皆さんの「コロナ禍でもこういうドラマができるんだぞ」という意地を見たって感じがしている。

追記

 他の方の総括を見て少しだけ追記することとした。

【好きなキャラ】
 デザスト、緋道蓮は先述の通りとして、シリーズ通してのお気に入りは仮面ライダーバスター/尾上亮と仮面ライダースラッシュ/大秦寺哲雄と須藤芽依だったりする。
 尾上さんは当初取っつきにくかったけど以降はいい兄貴分って感じだし、シンケンレッドを彷彿させる大剣使いの岡元次郎さんキャラってところもポイント高い。
 大秦寺さんは鍛冶職人ってところとか普段は平和主義で寡黙だけど戦いになるとヒャッハーになるところとかがお気に入りで、中の人がガチオタなあたりもポイント高い。
 芽依ちゃんはテツワン探偵ロボタックで言うミミーナみたいなケガレ役なんだけど、基本的に大人であり皆の潤滑油だったあたりがお気に入りである。中の人の挿入歌が第43章を彩ったのもポイント高い。

【好きなエピソード】
第1章:はじめに、炎の剣士あり。
 コロナ禍で撮影リソースがない中、よくここまで作ったって感じであり、仮面ライダーに限らず特撮作品的にも歴史的価値のある一編。

第21章:最高に輝け、全身全色。
 飛羽真がソードオブロゴスの面々とライダーバトルをすることで成長していくという、年末以降の路線を決定づけた一編。

第24章:父の背中、背負った未来。
 飛羽真のライダーバトル第2弾。飛羽真がバスターの重い一撃を受け止めるシーンはインパクト大。

第31章:信じる強さ、信じられる強さ。
 今度は逆に倫太郎が特訓目的で飛羽真とライダーバトルを繰り広げるあたり、ライダーバトル=特訓という位置づけがなされていて非常に興味深い。芽依ちゃんが思いっきりヒロインヒロインしているが、救助された瞬間相変わらずいつもの芽依ちゃんに戻るあたり石田監督の愛情が伺える。

第43章:激突、存在する価値。
 先ほど散々語ったので省略するが、一番好きな回。

…全然少しじゃなく思いっきり追記していたw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?