スーパーヒーロー戦記感想【ネタバレあり】

はじめに

 スーパーヒーロー戦記、諸事情により超特大サプライズについて知ってしまいましたが、ワクチン予防接種の副作用もおさまり、仮面ライダーリバイスの活躍を見てみたいとようやくスーパーヒーロー戦記を見に行きましたので、感想を書きたいと思います。

ネタバレなし感想

 まず本筋とそこまで関係ない話の感想から。

・浅沼さん劇場
 アドリブに定評のあるジュラン役の浅沼晋太郎さんですが、本作でもアドリブは健在などころかいつも以上にアドリブが炸裂しまくってて非常に楽しめました。
・色が混ざれば黒になる
 敵ボスのセリフですが、色が混ざれば黒になるのは絵の具の場合であり、可視光の場合は色が混ざれば白になるんじゃないかとか野暮なツッコミをしてみましたw
・飛電或人
 そういや今年度のライダーは現行作と前作とのVS作品がなかったので、或人登場はうれしかったです。ゼンカイ時空が混ざってることもあってか、テンションもかなり高めです。
・単独映画
 ゼンカイジャーとセイバーの単独長編も見てみたかったとか思ってますが、コロナ禍で撮影リソースを集約させた結果としての共演だからやむなしとか思ってます。

ネタバレあり感想・1

 さてネタバレガードのための前座も終わったことだし、感想を書いていきます。本作は一言で言うと
 現在の東映(のシン・仮面ライダー製作)におけるリスク洗い出し作品
 なんじゃないかと思ってます。

 あらすじをざっと話すと、敵ボスであるアスモデウスは仮面ライダーの各物語とスーパー戦隊の各物語を混ぜこぜにしてかく乱を図り、神である石ノ森章太郎先生(演:鈴木福さん)にヒーローへの創作意欲を失わせることにより、ヒーローの全滅を図ります。現実世界へ追い出された章太郎先生に対して仮面ライダーセイバー・飛羽真はこう訴えます。「自分のしっくりくるヒーローが描けなかったり、苦難に遭う登場人物に感情移入したりする事は作者として辛い。でも物語を作ることから逃げちゃダメだ」と。そして章太郎先生と飛羽真は物語を再構築することで物語世界へ戻り、アスモデウスと戦います…
 石ノ森先生はご生前、ご自身に家族ができてもいつ離れ離れになるかわからないと心配なさってました。その繊細さと葛藤しながらも多くの作品を執筆なさってきた功績を讃える映画としてすごくリスペクト感あったと思います。

 ただ、自分でもどうも引っかかっている部分があって。
 「逃げちゃダメだ」
 という飛羽真のセリフです。これって新世紀エヴァンゲリオンの主人公・碇シンジのセリフでもあります。でもってエヴァンゲリオンの庵野監督は2023年公開予定のシン・仮面ライダーを東映と製作することになっています。でもってこのことから、
 [1] 東映から庵野監督への宣戦布告説、
 [2] 東映の庵野監督に対する不満説、
 [3] 東映と庵野監督のじゃれ合い説、
という3つの仮説を立ててみました。

[1] 東映から庵野監督への宣戦布告説
 庵野監督はTV版エヴァ最終回で碇シンジに「逃げてもいいんだ」と言わせることで、逃げることを肯定なさっていました。しかしTV版最終回の型破りなスタイルが視聴者に不評で、払拭すべく旧劇場版や02年に始まる新劇場版を製作なさってましたが、庵野監督は製作に行き詰まりを感じておられました。そこでシン・ゴジラという迂回路的な作品を製作してみたところこれが大ヒット。この迂回路が功を奏したのか、シンエヴァンゲリヲン劇場版:||ではTV版最終回の「自分の弱さを肯定」という主軸を発展させ、「自分の弱さを否定する背景も自分の弱さである」というところにまで足を踏み込みました。しかもTV版最終回ではできずに不評を買った伏線回収も行うことができ、「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」のキャッチコピーにふさわしい一区切りをつけることができました。
 このようにある意味逃げることで大成功を収めた庵野監督に対してか、本作で「作品を作ることから逃げちゃダメだ」というセリフを挟むことにより「逃げるという手はもう使えないからね」という宣戦布告を東映がしたんじゃないかなあとか邪推しています。
 シン・仮面ライダーのプロデューサーである白倉伸一郎さんは、以前仮面ライダー555の音楽担当の松尾早人さんに「(ご本人の得意な)メロディアスな音楽を禁止」と宣告なさったそうです。これは仮面ライダーにライダーキックをするなと言ってるようなものだと白倉Pが比喩なさっていたぐらいです。松尾さんの場合は禁じ手という制約の中で名BGMを製作なさってましたが、禁じ手を封じられた場合、庵野監督に起こりうる状況としては以下2点があると予想しています。
(1) 1997年版劇場版エヴァンゲリオン第26話における視聴者突き放し
 1996年3月、エヴァンゲリオンTVシリーズが終了し、その型破りな最終回を見たアニメファンの一部がアンチ行為に走っており、庵野監督のアンチになることが当時のアニメマニアとしてステータスとみなされることすらあったようです。とはいえ私自身は同期入社の間でエヴァアンチに対する懐疑的な空気が漂っており、真っ新な状態でエヴァTV版を見たら最終回含めて十分堪能させていただきました。というよりあの最終回ありきでTVシリーズが作られたんじゃないかという感想すら抱くほどでした。もっとも、シンジを追い詰めるシーンにカルト集団っぽさがあったことについては懐疑的ですが。閑話休題。
 この社会現象により、庵野監督は精神的に追い詰められることとなり、1997年劇場版エヴァンゲリオン第26話「まごころを、君に」では、アニメ作品であるにも関わらず、パソコン通信上で庵野監督自身に送られた悪意のあるメッセージなどを映し出し「マニアよアニメなんか見ずに現実へ帰れ」というメッセージを逆に返し、一度エヴァンゲリオンを完全に終結させてしまいます。(とはいえこの後エヴァンゲリオンの新劇場版を始めることとなるのですが…)このように追い詰められたら視聴者を突き放すという手段をとってくるんじゃないかとも予想しています。
 とはいえ視聴者を突き放す手段も本作で禁じ手にしています。敵のラスボスであるアスモデウスに「こんな(自主規制)なもの(=仮面ライダーやスーパー戦隊)を続けて何になる!?」とかいった(うろ覚えですみません)セリフを言わせてますが、これって「まごころを、君に」のオマージュなんじゃないかと邪推しています。
 でもってここまで禁じ手が多くなるとどうなるかというと…
(2) 心身不調
 庵野監督は1996年テレビシリーズのときだけでなく、2012年のエヴァンゲリヲン新劇場版:Q制作終了後にも心身不調をきたしています。(新作を作るたびに心身不調になってるという話も聞きます。)なので東映がストレスマネジメントを間違えると心身不調を招き、下手すれば未完の大作に終わる可能性すらあります。
 たぶん東映側としては「石ノ森先生も作品作りに相当苦心なさったようだから庵野監督も頑張ってほしい」という発破をかけたいのかもしれませんが、庵野監督にとってはご自身で立ち上げたエヴァは別として、石ノ森先生もシン・ゴジラの本多監督もウルトラマンの円谷監督も偉大なる先人という点では待遇の差こそなく、どの作品に対しても分け隔てなく自分の持てる手段でリスペクトを表していくって姿勢なんじゃないかと思っています。
 なので個人的には逃げるという手段を塞ぐ行為は、自爆を招くんじゃないかと思っています。メンタルヘルス的な見地でも非常に不健康だと思いますし。そう考えると、もし「逃げちゃダメだ」というセリフが宣戦布告であれば、本作はそこそこ出来のいい失敗作」になってしまわないかということを危惧しています。下世話かもしれませんが。

[2] 東映の庵野監督に対する不満説

 二番目の線は、すでに「シン・仮面ライダー」の制作が始まっていて、庵野監督と東映の間で作品の作り方が違いすぎて、摩擦が起こっているが故に「何が『逃げちゃダメだ』だ」と東映側が不満を漏らしているんじゃないかという説です。
 庵野監督の作品の作り方としては一作に全力投球、基本的に妥協を許さない、だからこそ行き詰まりを感じると(いい意味での)逃げるという手段を使い状況を打破なさっているという印象があります。
 一方東映側については元東映所属だった高寺プロデューサーこそ庵野監督と作品の作り方が似ているとは思うものの、基本的に作品を絶え間なく供給するスタイルであるため、どこかで妥協して先へ進めているという印象があります。とはいえ改善点があるからこそ改善点を治していき続けることでシリーズを進化・存続させていってる感はあります。
 完成度が99点以上な一作を作って休憩(または作品を作ってる途中でも必要に応じて休憩)するスタイルの庵野監督と、完成度が80点以上な一作を作り続けるスタイルの東映とでは、かなり隔たりがあると思います。その隔たりが原因で東映側が不満を漏らしているのではないかと余計な心配をしてしまいます。
 とはいえ東映さんもなんだかんだで本作の現実世界での謎空間がどうもエヴァンゲリオンTVシリーズ第25,26話の謎空間リスペクトにも見えるので、裏では庵野監督に敬意を払ってるんじゃないかという見方もしています。

[3] 東映と庵野監督のじゃれ合い説
 三番目の線は、実は東映側と庵野監督の仲は良好で、サザンオールスターズが吉田拓郎さんに対して「吉田拓郎の唄」という歌をリリースして吉田拓郎さんとじゃれ合いをしていたかのごとく、東映側が本作をリリースして庵野監督とじゃれ合ってるんじゃないかという説です。正直な話、個人的にはこの説であってほしいと思っています。まあじゃれ合いにしては物騒ですが、本作は春映画の延長みたいなもんだから無問題です(身蓋論)。

 と、下世話なことばかり書いてしまい恐縮ですが、とにかくシン・仮面ライダーが無事完成することを願ってなりません。

 他の感想としては、現役のゼンカイジャーや新作・仮面ライダーリバイスのバイスを筆頭に、イマジンズとかショウ・ロンポーとかデカマスターとかラプター283とか戦隊・ライダーの人気着ぐるみキャラが集結しており、
 スーパー着ぐるみ大戦
みたいな感じがしました。その中でも特に
 ジュランとモモタロスのケンカ
が最高でした。これだけでも元とれたって感じがします。
 それと新ライダー登場がオールライダーVS大ショッカーでの仮面ライダーWパターン(別名マジンガーZ対暗黒大将軍でのグレートマジンガーパターン)であり、個人的にはこのパターンが好きなので、非常に燃えました。
 一方、歴代ヒーローの絵が破られ消滅するシーンを見て不快に思ったファンの方もおられるようですが、よく見ればシンケングリーンとかデカマスターとか公式からの待遇が良かった作品のキャラばかり。そう考えると、ファイブマンみたく公式から冷遇されていた作品のファンからしてみれば、正義の現役巨大ヒーローからナスカハイパークラッシュされなかっただけまだマシというマウンティング的な思考はおいとくとしても、レジェンドへの冷遇に格差を持たせないあたり、少し見直した感があります。でもやはりレジェンドへの冷遇は物騒だから物語的に意味があったとしてもあまりやってほしくないなあって感はあります。

ネタバレあり感想・2

 本編の感想が長くなってしまいましたが、お次は仮面ライダーリバイスのおまけ映画について。感想をつらつらと書いてみます。

[1] バイクがドローンかと思いきやホバーバイク
 近年では四輪車や仮面ライダーそのものなど、多種多様である仮面ライダーのバイク(トライドロンは屋根付き四輪バイクだと認識していますw)ですが、今年はドローンみたいな形をしていて作り物か?と思いきや、本物のホバーバイクらしく非常に驚いています。50周年記念にふさわしい豪勢さでしょうか。コロナ禍でイベントとかロケとか派手にできない分、こういうところで50周年記念らしさを出してくれるのは非常にうれしいです。

[2] とにかくうるさいバイス(超絶誉め言葉)
 仮面ライダーリバイスでは人間の主人公が仮面ライダーリバイに返信するだけでなく、使い魔であるバイスが仮面ライダーバイスに変身します。そのため、一人で二人の仮面ライダーというテニスの王子様の菊丸の一人ダブルスを思い出すキャッチフレーズですが、とにかくこのバイスが暴れまくるわうるさいわで非常に楽しいです。声優ブーム真っ盛りにおける着ぐるみ特撮の最先端って感じもしてて、非常に興味深いです。
 一方で主人公の仮面ライダーリバイも久々に真面目系1号ライダーということで、非常に楽しみです。真面目属性が突出しているという点では元祖仮面ライダーの本郷猛を思い出します。

[3] 都内の銭湯経営の家に住む勝ち組ライダーかと思いきや…
 制作発表での話も込みになりますが、今回の仮面ライダーリバイスは家族ものの要素を持ち、主人公の父親がYoutuberで一攫千金をめざすという設定になっています。しかし都内に家を持ち銭湯を経営しているということでもはや勝ち組。銭湯の経営に行き詰ったとしても、銭湯の敷地を駐車場にして貸し出せば不労収入が入ってくるという余裕から、Youtuberで一攫千金という発想も出てきているのかもしれません。
 しかしそんな勝ち組の存在を許せるほど仮面ライダー(というか平成以降の仮面ライダー)の世界は甘くはありません。地上げ屋が登場して立ち退きを要求してくるあたり、都内家持ちが単なる勝ち組ではないということを示唆しており、非常にリアリティがあると思います。しかも悪の組織全く関係なく、人間世界にも敵がいるという点が興味深いです。

[4] お笑いを基調とし、派手さ控え目で大人向けにした作風
 
ストーリーはシリアスなんだけどストーリーを単純化して画面の派手さを優先させることにより、コロナ禍において省撮影リソースでの撮影手段を確立させた前作・仮面ライダーセイバー。それに対して仮面ライダーリバイスは、ストーリーはギャグ寄りなんだけど雰囲気を大人向けにして派手さを控え目にしてるって感じがするあたり、前作と真逆にしたなあって印象が強いです。

おわりに

 そんなわけで本作を特大サプライズ知った状態で見に行きましたが、それでも結構興味深い部分が結構でてきてそれなりに楽しめました。

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