感性的所与を生み出せる場を作ろう

―沈黙の春が現実に―

はじめに
今から30年ほど前、東京山手線の電車に乗った時のことである。若い母親と4,5歳位の男の子が座席に座っていた。その前に年寄りの男性が立った。その折、男の子がその年寄りのために席を開けようとして母親側に身を寄せたが、何とその母親は子供を押し戻し、席を空けようとはさせなかった。その折、“やさしさ”や“おもいやり”という感性は生まれつき人間に備わったもので、親から教えられることで生まれて来るものではないということを気付かされた。現代の世の中は、人間が本来持っていた感性を育てる場ではなくなっていることを子供の母親の行為から見て取れた。この時、人が生まれついたときから備わっているこの素晴らしい感性を更にはぐくみ育てるような場を作らなければならないと感じた。これを契機として表題のような文をグローバルマインドという私も編纂に加わっていた雑誌に投稿した。この思いもあって、大学を退官後、この三雲の地に研究所を立ち上げ、これを拠点にして目下“オータンの森”という感性を育てるためのプロジェクトを具体化しようと努力しているところである。このプロジェクトに多くの感性人間が集まってもらえるようにとの思いからこの文を再録させて頂くことにした。

□沈黙の春が現実に
最近、都市周辺に取り残された雑木林に入っても、生きものの息吹やざわめきが感じられない。そこには、木々の緑の静寂があるだけである。少し足を延ばして農村部の丘陵に分け入っても状況はさほど変わらない。昭和30年(1955年)頃までは、クヌギ林に近づくとクヌギの樹液が発酵した独特の匂いとカブトムシの体臭が入り混じった匂いが辺りにたちこめ、虫たちのざわめきが感じられ興奮したものである。シロスジカミキリの幼虫が食害したクヌギの木の穴から樹液があふれ、それを求めてカブトムシ、クワガタ、カナブン、シラホシハナムグリ、オオゾウムシ、ヨツボシケシキスヒなどの甲虫類、オオムラサキ、コムラサキ、ゴマダラチョウ、ルリタテハ、ヒオドシチョウ、キマダラヒカゲ等の蝶類、オオスズメバチ、その他小昆虫を加えると、十数種類に上る昆虫がひしめき合い、クヌギの樹液の恩恵に浴していた。
コクサギの花には、クロアゲハ、オナガアゲハ、カラスアゲハが集まり、山道の牛馬糞にはキチョウ、スジボソヤマキチョウが、ノアザミにはモンキチョウ、スジグロシロチョウ、モンシロチョウ、ナミアゲハがその美しさを競っていた。河川にあっても、都市近郊の生活排水でどぶ川になってしまったところでもフナ、コイ、メダカが泳いでいて、タガメ、タイコウチ、ゲンゴロウやコオイムシといった水生昆虫がわが世の春を謳歌していた。それから38年後、平成5年(1993年)の今日、山野、河川から生命の息吹は途絶えたに等しい状態になってしまった。樹木は多くの生命を育むことを止め、水はただひたすら高きから低きに流れるだけで、生命の母なるいのちの役割を止めてしまった。
そして今、樹木や水は人間の生命維持のための安価な酸素生成器、エネルギー源として人間のエゴイズムを充足させるだけの機能しか持たなくなってしまった。生命の誕生から35億年かけて「共生」と「調和」という素晴らしい枠組み(パラダイム)に生命体の全てのベクトル向け、自然が作り上げた自然環境を我々日本人はわずか38年で破壊したのである。レイチェル・カーソンの「沈黙の春―Silent Spring」が我国に紹介されたのは昭和33年(1958年)頃のことであると記憶している。この時、アメリカにおける自然科学を援用した物質文明の無残さの一面を教えられたにもかかわらず、それを何一つ教訓にしていない。又、2000年以上の長きにわたって外国からの侵略を受けず、自然との共生を日本民族の精神として伝承してきた先達の叡智からも学ばず、1億全ての国民がソロモン王の繁栄をめざし今日に至った背景は一体如何なるものなのだろうか。(続く)2020/3/27

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