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エロスの画家・高橋秀の物語(9)【アートのさんぽ】#17

1960年代からイタリアに渡って国際的に活躍した「エロスの画家」高橋秀(1930年生)。そのクローム絵画によりイタリアにおいても評価されたが、さらにカラフルなシェイプト・カンヴァスへと変貌を遂げていく。
 


モノクロームからカラフルへ


 
高橋秀は、1966年から67年にかけて新しい試みに挑戦し、次なるスタイルを掴みつつあった。モノクロームの絵画からカラフルな絵画へと変貌を遂げていくのである。
 高橋の次のように述べる。
「(絵画制作とは)東洋、西洋の狭間の問題では無く、個人としての確立、主張の問題なり、と開眼できたのが66年から67年にかけての状況でした。語ればずいぶんドラマチックな変化のように聞こえましょうが、どんどんモノクロームを突き詰めていって、ぱっと開放されて、自由な形が生まれ、絵画という枠からぱっと飛び出せた、という感じです。その辺りのことは、言葉でも理論でも余りうまく説明できません。壁に突き当たって、向こう側にふっと突き抜けて、目から鱗がとれて、ぱっと視野が広がったという事なんです」と。
 それを裏付けるように、この1967年にアトリエを訪ねた美術評論家、久保貞次郎は美術雑誌で次のように報告している。
「4月22日、ぼくはローマについた。ローマでは阿部展也と高橋秀にあったが、高橋のアトリエを訪れたぼくは、昨年夏みたかれの仕事よりも、明らかにイメージが明確になっているのに気づいた。かれの仕事場は木工場のようにいろいろ道具がそろっていて木材を裁断して、そこにアクリルで彩色をほどこす。その集合体は、明晰で、直截だ。イタリアの自然と社会の明るさに、作家の信条によって裏打ちされているのを、ぼくは感じた」と。
その時、モノクロームの絵画からカラフルな絵画に変わりつつあった。
 この時期のモノクローム作品をみていくと、単色とはいえ、ずいぶんとヴァラエティに富んだタイプの色彩を使うようになっていた。黒や白は当然のことながら、黄色や赤、緑、そしてピンクにまで及んでいる。そして、これらの色彩が、ひとつの画面に、有機形態をともなって複数現れるようになり、やがてカラフルな絵画となっていった。
ここに未来主義の画家ジャコモ・バッラの影響があると指摘するのは、高橋の作品を多く収集していた美術コレクターのルイジ・マルクッチである。マルクッチは、1968年に評論家マウリツィオ・ファジョーロ・デラルコが企画したオベリスコ画廊の展覧会シリーズ「2001年展」において高橋とバッラの作品との出会いがあったと指摘している。
「ジャコモ・バッラの「力線」や「虹の相互浸透」の歴史的な探求が、高橋秀の自然で直観的な手法となっていった」と。

ジャコモ・バッラ《虹の3つの小品》1912年


「色彩の表面」シリーズ


 
1967年の《色彩の表面 R7-104》を見てみてみたい。

高橋秀《色彩の表面 R7-104》1967年


これは、1968年、ローマのテアトロ・オリンピコという会場で、オベリスコ画廊の主催で開催された「構造と色彩」展に出品された後、東京都美術館で開催された「第8回現代日本美術展」(毎日新聞社主催)に招待出品され、《色彩の表面 R7-100》とともにT氏賞を受賞した作品である。
 この時の「第8回現代日本美術展」における他の受賞作には、最優秀賞・荒川修作《作品-窓辺で》、東京国立近代美術館賞・山口勝弘《ユニヴァース》、神奈川県立近代美術館賞・飯田善國《作品=Werk》、大原美術館賞・宇佐美圭司《Joint》、優秀賞・吉原英雄《彼女は空に》、同・田中信太郎《マイナー・アートABC》、同・湯原和夫《作品16》、同・森口宏一《From Illusion to Illusion》、同・多田美波《Laputon No.2》、K氏賞・糸園和三郎《黄色い水》があげられていた。
荒川、宇佐美、糸園は矩形のカンヴァスに描く絵画だが、飯田、湯原、多田はステンレス、鏡、アルミニウムを使った環境彫刻、山口、田中、森口は光を使ったライト・アート、吉原は銅版・石版によるポップアートという具合だった。この時代の美術潮流がよく反映されているが、絵画・彫刻ともに周囲の空間、環境に投げかける作品が目立っていた。
こうした状況のなかで高橋の作品はどのように解釈できるのか。
《色彩の表面 R7-104》の形状は、たなびく旗のような形となっていたが、これは伝統的な矩形のカンヴァスの否定を強く打ち出すものであった。矩形のカンヴァスとは、イメージを載せ、イリュージョンを起こさせやすい形状である。これを打ち消すように、たなびく旗のような形状とした。そのために既成の画材ではなく、木工機械を導入して新しい木枠づくりの技術を開発したのである。
この不定形のカンヴァスは、一般にシェイプト・カンヴァスと呼ばれ、造形的な形を描くのではなく、カンヴァスの形そのものとして示すものである。カンヴァスの形が造形として主張する彫刻的、空間的な絵画である。
さらにこの作品には、左端の赤色の部分に突起のような箇所がある。それは、赤のストライプが円筒形となって飛び出ているように見えるものである。まさに彫刻的、建築的な表現となっている。
しかしながらそこには絵画的な要素もしっかり残していて、黄色、白、赤色、青色の4本のストライプをカラフルに描きこんでいる。それが、前作の《Superfici R.5.26》のモノクローム作品との大きな違いである。
それぞれの色彩には意味があるとは思えないが、カラフルにすることにより難しい形状と空間的な芸術性に集中することを和らげ、楽し気でダイナミックな感覚を醸しだしたのだろう。ここには、マルクッチのいうようにジャコモ・バッラの影響も見られるが、高橋秀の人を楽しませたいという祭り好きのサービス精神も現われているのであろう。
 

色彩とフォルムの造形法


 
 高橋は1968年、ミラノのアリエテ画廊で個展を開催し、《平均的幸福値への形而上的願望》ほか「色彩の表面」シリーズなど17点を発表する。
この展覧会カタログの序文で、ムリロ・メンデスは、「色彩の表面」シリーズについて、さまざまなフォルムと色彩を探求した構造的な建造物であり、フォルミカ(樹脂系素材)やエナメル、アクリル塗料といった新しい素材をとり入れた作品であるとし、次のように総合的な見解を述べた。
「1966年1月のヴェネツィアでの個展の後、高橋秀は、さまざまなフォルムと色彩の探求をしながら絵画を展開させた。大きな激しい力と大胆な構成に特徴づけられる時代がはじまる。そこでは構造的といえる建造物シリーズが、テクノロジー文化の文脈に結びつけられながら、明らかと」なり、新しい素材の日常的な利用は、内面を見るひとつの方向に向かわせた。
「画家は今、カンヴァスやフォルミカにエナメル、カンヴァスにアクリル塗料を使っている。カンヴァスとフォルミカをひとつの同じ画面上に結びつけ、青や緑、赤、オレンジといった色彩の探求の方向づけをするなかで、高橋はわれわれの時代を独自に総合した精神をもって、古典絵画の確かな教訓と調和させる。このようにして彼はその創作、最近の目標に辿り着く」とした。
「わたしは個人的にはここ最近の個性的なスタイルのものに興味を持っている。…これらは「東洋と西洋は決して出会うことはないだろう」という有名な箴言を否定する、というのもこの芸術家の作品は2つの文化の合成の上に基礎をおいているからである」と日本的な表現がそこにあると主張した。
さらに「わたしは「抒情」や「逃避」といった言葉ではなく、「秩序」という言葉を好む。われわれの住む世界では、戦争の暴力や残忍さが愚かな秩序の押し付けを煽り、一方でその脆弱さをすでに露にしているが、そのなかで別の道を求める芸術家のひとり、高橋は、われわれの生きる現制度の下にある本来的に矛盾する力を壊すであろう、精神的な、望ましい秩序に関する個人的な展望を提示している。」と。
 メンデスが指摘するように、高橋は日本時代の抒情的な方向を脱し、さまざまなフォルムと色彩による大胆な構成の絵画を展開させた。これら複雑な構造をもつ作品制作のため、高橋はまったく新しい造形方法を編み出していった。それは、エスキースから設計図面を作り、それに応じて、合板やフォルミカで組み上げていき、エナメルやアクリル塗料で彩色をしていく手法である。
または、合板を各パーツに切断して、アールをつけた上でカンヴァスを張って整形し、彩色した末に、再び全体を結合していく手法、あるいは変形の木枠を組み上げ、そこに凸面をつけた後に全体をカンヴァスで覆うという手法である。
各工程は、まさに工場における大工作業、クロス張替作業、ペンキ塗り作業であり、建築現場のようである。つまり、制作の過程おける中途変更がほとんど許されないものであった。それゆえ、このような手法で制作された作品は、構築的、構造的、建築的であることは当然であるが、その曲線的な精巧なフォルムは、精神的なもの、有機的な自然のやわらかさをも表現しようとした繊細なものとなったのである。
 

カステッラーニとボナルーミとの比較


 
 この「色彩の表面」シリーズをさらに複雑にした作品《平均的幸福値への形而上的願望Ⅱ》を1968年の「第13回ラマッゾッティ展」(ミラノ、パラッツォ・レアーレ)に出品したとき、美術評論家エンリコ・クリスポルティは、高橋を同じ傾向の作家エンリコ・カステッラーニとアゴスティーノ・ボナルーミと比較しながらその造形性について述べた。
 「数年前からローマで制作する高橋は、純粋なフォルムの意味論的な存在の探求を徐々に先鋭化させている。…イタリアにおいて、それは近年、カステッラーニとボナルーミが展開してきた探求との比較が可能である。私が、サイバネティックス[人工頭脳学]の想像力、むしろメカニックなものという時、とりわけカステッラーニのことを考えた。心理学的な言語における挑発の強調を重視するとき、とりわけボナルーミのことを考えた。高橋の場合、大空間において大きな知恵が絞られていたこと(ラクイラの「オルタナティヴの時代3」展に展示された大きな作品に見られるように)は明白であった。彼は、最新の図像の組合せを構成することにあまり興味を持たず、むしろ[絵画の]型の限界をそこに表している、と私は言いたい。…彼が、視覚芸術の遙かな伝統に遊んだことは疑いない」と。
 クリスポルティは、高橋のフォルムの意味論的な発展よりむしろ、大きな空間における絵画の形式の投げかける限界に挑戦していることを指摘する。絵画の枠を越えること、建築的な空間に近づくこと、そんなことがこの作品から始まっていると言うのである。
実際にこの時期の作品は、作品の形状をシェイプト・カンヴァスにすることにより、矩形の伝統的な絵画の枠を乗り越えている。色彩の使用は、カラフルとなり、表情としても饒舌となる。形状が複雑となるとともに、色彩の組み合わせも複雑になってきて、日本的な感じも出てくるように感じられる。大和絵や浮世絵といった日本伝来の色彩感覚がにじみ出てくるような感じがするのである。
高橋は当時、「イタリアの澄んだ青空を眺めて、モチーフをつかむことが多い」と針生一郎に語っていたように、色彩と面や線の関係を純粋に造形的に探究していた。しかし、クリスポルティの「視覚芸術の遙かな伝統」に遊ぶという言葉に見られるようにイタリアにおいては日本的とか東洋的という文脈で批評されることが多くなっていた。そして高橋自身もそれを意識せざるを得なくなってきていた。
針生一郎も高橋の日本的なものを既に指摘していた。
「1970年代前半すでに条溝による線に曲線がふえ、その条溝が色彩を横切って色彩と面とが分離し、さらにその色彩に黒、白、赤の主調のほかに中間色がめだち、大和絵の優美な装飾性を思わせる空間が出現」していたとした。
 
 
参考文献:谷藤史彦『祭りばやしのなかで -評伝 高橋秀』水声社

#高橋秀 #イタリア #ジャコモ・バッラ #空間主義 #エンリコ・カステッラーニ

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