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5月28日(日)☁️「不快の絶頂、幸を喰らう」※胸糞、暴言注意

昨日に引き続き、友達と共に行動した。3時間半睡眠だったにしては、「運鈍根」をアラームにしてたおかげで起きることができた。この2日間とても楽しく、演奏会もとっても良かった。そう、楽しかったのだが…
たった1つ、凄く不快な出来事があり、ソレが良い思い出を蝕んでいく。何があったかというと、2人で○○駅までいつも通る道(通学路ではないが、近いため半分以上の学生がここを通る)を歩いていた。時間が電車の発車までギリギリなため急いでいたら、踏み切り前で知らんジジイに「○○?(大学名)」と聞かれた。「はい」と言ったのが運の尽きだった。「通学路を通れ」と言われて、「あ〜、あの歩道橋の?」と返した。一言目から命令形なので嫌な予感がした。「知っとるやろ、(通学路を)通れ」→
しかし通学路は来た道を戻った所にあり、遠回りで駅まで行かないといけないため避けたかった。どうにかこのまま通れないかと「明日から気をつけます」と言っても「今から戻れ」と。何を言ってるんだコイツはと思いつつ「急いでるので」と、半ば返答を予想しながら抗議すると「知らんわ。戻って通れ」の一点張り。仕方なく「戻ろう」と言って戻ろうとするが、友達は通学路の方向を知らないため、そのままジジイが立ちはだかっている方へ進もうとする。すると、友達に立ちふさがり「ダメや。戻れて」と言う。不快の絶頂だ。背中を見せて、殺意を口の中で転がしながら歩き出すと「ルールくらい守れや」と捨てゼリフを背中に浴びせてきた。思わず舌打ちをし、歩き、電車は逃し、また舌打ちをした。はぁ、終わっている。大体日曜の朝、人もほぼいない。そんな時に通学路もクソもあるか?普段、学生たちがあの道を通ってうるさいなど迷惑をかけているのだろう。だからといって、終始不機嫌な面で命令形で初対面の人をいびる。それが許されるとでも?僕でストレス解消をするな。→

アイツは何もかも終わっている。どうせ僕が弱そうに見えたから、そして学生だったからいびってきたのだろう。そうやってしかストレス解消や自尊心を満たすことができないのだろう。あんなクズ奴に、よく最後まで敬語を貫き通せたと思う。初関西でウキウキしている友達も巻き込まれて不憫でならない。このクソ不快な出来事のせいで演奏会中も奴の顔がチラついて不快だったし、今もこうやって日記をその記憶が侵略している。つい先日、「他人から言われた嫌なことは気にしないで受け流す」と考え方を変えたが、あれはもう…受け流すのが到底無理なほどに不快だった。「もしあの一瞬だけ、僕に法律が適用されなければ奴を…」とまで考えてしまう。せっかく楽しい日だったのに、台無しだ。朝イチの出来事があれとか…はぁ、書いている今も腹が煮えくりかえる。記憶を部分的に→
除去できたらいいのに。楽しい記憶よりも嫌な記憶の方が頭にしつこく残るのはなぜ?幸せは手にすくった砂のようにサラサラ落ち、辛さは深く刺さり抜いた後も確かな傷跡を残す。どうして人間の思考というのは常に下り坂なのだろう。幸せはすぐに払拭されるのに、不幸は心に居座り続けて、嫌がらせとしか思えない。明日起きたらあの出来事の記憶だけごっそり抜け落ちてないだろうか。そしたらこの日のページはホッチキスで止めて、永遠に開かないようにするのに。
この世には様々な人間がいて、仲良くしてくれる方々のように良い人もいれば、あのクソのような終わってる奴もいる。これから先、またこのような事は無いと言い切れない。もしまた起こったら、次はすぐ逃げようと思う。それに費やすメモリーも体力もエネルギーも全て無駄だ。関わらないことが受け流すことなのだ。そのことを身を以て体感した。僕は絶対、あのクソみたいにはならない。なった時は、僕を56してくれ。

追記:明日こそNGMEのことかく…!

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